喜多家墓所五輪塔(きたけぼしょごりんとう)
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[所在地] 寝屋川市池田二丁目
池田二丁目(旧池田川村)の喜多家の屋敷地に隣接する墓所には、喜多家代々の墓があります。
この一角に一辺75センチメートル、高さ46センチメートルの花崗岩(かこうがん)製の四角い石があります。
上面には直径13センチメートルの浅い円孔があり、この石が五輪塔の一部(地輪)であることが分かります。
南面には「河内國茨田郡/池田郷/建武二年乙亥/十一月一日/三昧結衆中」と5行にわたって銘文が刻まれていて、 1335年(建武2年)11月1日に河内国茨田郡池田郷の村人達によって、この五輪塔が建てられたことが分かります。
この五輪塔は、村の墓地(惣墓)の中心に建てられた、総供養塔であったと考えられます。
池田郷は、平安時代に編纂された『倭名類聚抄(わみょうるいじょうしょう)』に 河内国茨田郡八郷(かわちのくに まったぐん はちごう)の1つとして記されていて、 その後鎌倉時代から南北朝時代には皇室領の荘園になっていたことが知られています。
この時期に建てられた五輪塔は、市域西側の地域での村の成立や、この時期の村と墓地の関係を示す重要な資料です。
刻まれている年号は石造物に残っているものとしては、市内最古のものです。
問合先
文化スポーツ室 電話:072-824-1181(代表)
更新日:2021年07月01日