五藤池(ごとがいけ)

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寝屋川市の文化財

五藤池(ごとがいけ)

五藤池(ごとがいけ)の水面に建物が反射して写っている写真

「五藤池」は、かつて市内最大の用水池(ため池)でした。旧高宮村の用水池で、その西南一帯の水田約30町歩を灌漑(かんがい)してきました。池は中堤により上池(現、市民会館など)と下池(現、市立第一中学校・東コミュニティセンターなど)に分かれ、総面積は約5町歩(約49500平方メートル)あったので、「五町池」と称されたのが、なまって五藤池となったと伝えられます。「ごとがいけ」ともよばれます。

五藤池の築造時期については、確かな記録はありませんが、伝承によると上池(当時は田畑)あたりは元は秦(はだ)領でした。高宮領と秦領の代官が協議して、現在の市立中央小学校南側にあった高宮領の土地と等価交換をし、上池は高宮領になったとのことです。こうした伝承が事実であれば、五藤池の築造は江戸時代以降と考えられます。

用水池は、元来、谷間をせき止めて築造しますが、五藤池は平地部に堤を築いて築造されたものです。そのため、自然湧水がなく、貯水量を補うために秦領の新宮池の余水を惣水川(そうすいがわ)を通して譲り受けていました。高宮村は、昭和30年代まで毎年、水勘定(水代金)を納めてきました。惣水川より取水する樋は、近くに大きな栴檀(せんだん)の木があったことから「栴檀の樋」とよばれ、現在も第一中学校体育館の西側にあります。

五藤池の周辺は、枚方みち(河内街道)が西堤と南堤を走り、太秦の村中を通る交野みちと交わる交通の要所でもありましたが田園風景も里人の心をなごませました。春は柳の新緑、夏はヒシの藻と白い花、秋冬には水面にたわむれる「かいつぶり」、とりわけ名物の「雑魚獲(じゃことり)」は壮大で、大量の淡水魚が水揚げされ、その年の終りを告げる行事でした。五藤池は、古くから人々の生活や産業をささえ、地域発展の源となってきたのです。

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更新日:2021年07月01日