蔵骨器(ぞうこつき)
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本蔵骨器は、1939年(昭和14年)に長栄寺町の長栄寺本堂の真北の水田を発掘したときに、ほかの石造物といっしょに出土しました。
蔵骨器は凝灰岩(ぎょうかいがん)とよばれる軟質の石を一辺79センチメートル、高さ30センチメートルに加工したもので、中央部に一辺30センチメートル、深さ7.5センチメートルの正方形の孔があけられています。
現在、長栄寺の本堂の縁の下に保管されていますが、出土したあと、しばらく雨ざらしの状態であったため、かなり風化が進んでいます。
このため、現状から蔵骨器の身の部分になるのか、蓋の部分になるのかは判断できません。
出土場所付近は、寺の言い伝えよると以前(明治期?)に「茨田親王塚(まったしんのうづか)」とよばれる塚(現在は長栄寺の東北隅に所在)があった場所とされています。
1864年(文久4年)の古図には茨田親王塚が寺の西北隅に描かれていて、塚の位置はこれまでに2回移動していることになります。
蔵骨器は文久4年から明治期(?)に古図の位置(西北隅)から移動した場所(寺の真北)から出土したことになります。
このことは、蔵骨器といっしょに中世以降の石造物が出土していることからも裏づけられます。
長栄寺の付近では、古瓦が採集されていて、古代寺院(高柳廃寺)の存在が推定されています。
奈良時代以前の古代寺院と火葬骨を納めた墳墓については、その関係が指摘されていて、市西部(茨田郡) の古代のようすを考えるうえで貴重な資料です。
更新日:2023年02月27日