四方黒池
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寝屋川市の歴史
寝屋川市の文化財
四方黒池(よもぐろいけ)
四方黒池は、昭和20年(1945年)ごろまで、現在の美井地区の田畑をうるおす灌漑(かんがい)用のため池としてその役割を果たしてきました。
池の東側には山から清水が流れこみ、夏になるとホタルが乱舞し、笹を持ってホタルを追いかける里人のすがたが昭和の初期までみられました。
昭和9年(1934年)成田山新勝寺の大阪別院がこの地に鎮座(ちんざ)されると、その参道に沿って一定の町並みができ、住民は魚釣りや水遊び、水泳をしたりして楽しみました。
昭和25年(1950年)、現在の美井地区より行政分離して「成田町」が生まれました。昭和33年(1958年)には三井地区がこの池の財産区財産を処分することになり、池の東側の部分を埋め立て、現在の四方黒池が成田地区の管理財産として残りました。
昭和40年から60年ごろ(1965~1985年)にかけて成田東町や成田東が丘などの大規模開発が進むと、雨が降るたびに大量の雨水が池に流れ込み、池の東側住宅が浸水に悩まされるようになりました。そのため、昭和61年(1986年)に市下水道事業として池の南側道路に雨水幹線をつくり、四方黒池は親水公園として整備されました。
その後、雨水が入りにくくなったので、平成3年(1991年)に水質浄化策として、さく泉(掘りぬき井戸)が掘られ現在に至っています。
更新日:2021年07月01日