令和5年3月号 「西の宇宙流」でファン魅了 プロ囲碁棋士 苑田勇一さん

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天元戦の本戦で対局する苑田さん(左) (関西棋院提供)

記念対局を大盤で解説する苑田さん(右) (関西棋院提供)

「西の宇宙流」でファン魅了

苑田(そのだ) 勇一(ゆういち)さん(70歳・本町)

公式戦で通算1000勝を成し遂げ、昨年、新設されたプロ棋戦「テイケイ杯レジェンド戦」に優勝した苑田勇一さん。4つ目のタイトルを手にし、長年関西の囲碁界をリードしてきた実力者にふさわしい初代のレジェンドとなりました。

スピード昇段で新記録

黒と白の石を互いに打ち、囲った陣地の大きさを競う囲碁。小学校3年生のとき、父親の手ほどきで始め、自宅近くの碁会所に連れて行かれました。「最初は嫌いでした」が、それでもめきめき腕を上げ、5年生でプロ棋士が所属する関西棋院の院生に。16歳でプロ入りを果たしました。

昇段の審査にかかわる大手合(おおてあい)と呼ばれる対局は年間16局ありました。順調に段位を上げ、最高位の九段に達したのは26歳のとき。10年5か月のスピード昇段は関西棋院の記録を塗り替えました。

それでも「大手合はトレーニングみたいな感覚。昇段したいという思いはそれ程ありませんでした」。

関西若手の旗頭に

こだわったのは名人戦や本因坊戦などの七大棋戦です。印象に残るのは九段になった年の棋聖戦八段戦の優勝。決勝までの計6局を「緊張せず元気にのびのびと打てました」。

その言葉どおり「関西の若手の旗頭」と注目され、「調子に乗ると、どこまで勝ち進むか分からない」と新聞の囲碁欄をにぎわせました。

七大棋戦では天元戦と碁聖戦の決勝や挑戦者を計4回経験。タイトル獲得はかないませんでしたが、「カメラマンのフラッシュが光り、対局場の雰囲気も違いました」と振り返ります。

「治勲さんは隅が好きなので」

「棋風は自分でも分かりません」と話しますが、独創的な打ち方でファンを魅了してきました。宇宙に見立てた碁盤の中央に地を広げるスケールの大きいスタイルは「西の宇宙流」と言われています。

同じ年にプロ入りした同期の趙治勲・名誉名人は、碁盤の隅を地にする対照的な棋風。昭和63年には天元戦の挑戦者として対戦しましたが、「治勲さんは隅が好きなので僕は仕方なく上に打っていたのです」と、「西の宇宙流」と呼ばれる種明かしをしてくれました。

AI導入し情熱失わず

5年前、関西棋院では5人目となる公式戦通算1000勝を達成しました。弟子の今村俊也九段も1000勝に到達し、囲碁界初の師弟達成に「素直にうれしいです」。

今も年間20局~25局の公式戦を打ち、AI(人工知能)ソフトも導入し研究。「確かに強いし、勉強の方法も変わってきたなあと実感しています」。古希を迎えても棋戦への情熱は衰えを知りません。

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更新日:2023年02月22日