令和4年7月号 「寝屋川から世界へ 新たな目標に挑戦する」 河村良彦さん

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ダンスバトルで踊る河村さん

子どもたちにダンスを指導する河村さん

「寝屋川から世界へ」 新たな目標に挑戦する

河村(かわむら)良彦(よしひこ)さん(32歳・寿町)

2年後のパリ五輪で新競技として採用されるブレイキン。音楽に合わせて跳ねたり、くるくる回ったりして勝負するダンスバトルで、海外でも活躍する河村良彦さんは「オリンピックは最初で最後のチャンス」と新たな目標に意欲を見せます。

ブレイクダンスの名前で知られるブレイキンは1970年代に米ニューヨークの貧困地区で生まれ、80年代に日本にも入ってきました。回転技など4つの基本スタイルで構成され、どのように組み合わせるかはビーボーイやビーガールと呼ばれるダンサーの自由。全身を使って交互に踊り、技と独創性などを競い、「ディスクジョッキーが選んだ曲に合わせ、即興で踊るのもバトルの醍醐味です」。

「勉強よりダンス」

出会いは友呂岐中学校の2年生のとき。家でゴロゴロしていると、両親に「受験勉強をするか、兄貴にダンスを教えてもらえ」と言われたそうです。当時6歳上の兄がブレイクダンスに熱中。「勉強よりいい」と自宅前の路上に段ボールを敷き、見よう見まねで始めました。

西寝屋川高校でダンス部に入った頃は毎日7、8時間も練習し、3年生のときにストリートダンス大会で高校日本一に。「優勝トロフィーを持って帰ったら皆びっくり。やっと両親に自慢できるものができてうれしかった」といいます。

19歳で10代の頂点に

卒業するとアルバイトをしながら踊りに専念しました。ダンサーネームは「Yosh is stoic(ヨッシュ イズ ストイック)」。19歳のときに10代の日本一を決める大会で頂点に立つなど国内で優勝を重ね、次の目標は日本代表で海外の大会に参加することでした。

しかし勝てない時期が続き、23歳のときに自費でドイツへ。3大会に出場し、優勝は叶いませんでしたが、「何百人という観客が熱狂する雰囲気の中で注目されるダンスができました」。

「俺のための大会」に優勝

すると翌年、チーム対抗の世界大会に地元の仲間と挑みベスト8に。その2年後、世界最高峰の大会へつながる国内予選が寝屋川市で開かれ、「俺のための大会」という気持ちで参加し、見事に優勝。惜しくも最終予選を勝ち上がることはできませんでしたが「調子はよかった」そうで、同じ年にフランスで開かれたチーム対抗の大会で1位に輝くと、招待された中国の大会で初めて個人の世界一に。「当時は体力で勝負できたし、地元で優勝したこともあって勢いがありました」と振り返ります。

パリ五輪にチャレンジ

香里園駅近くに開設したブレイクダンス専門のスクールにはこれまでの数々の栄光が刻まれたトロフィーが並び、将来のビーボーイやビーガールがレッスンに励んでいます。

ブレイキンが五輪競技に選ばれ、「子どもたちにとって大きな目標ができました」と歓迎。河村さん自身も「年齢的にもラストチャンス。五輪にチャレンジし、その経験を指導者として子どもたちに伝えたい」と話し、現役選手としての挑戦はまだ続きます。

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更新日:2022年06月24日