寝屋川市域の形成

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1.寝屋川市域の形成

今から1万年以前は氷河期と呼ばれ、現在より気温がかなり低かったと推定されています。このため、大陸では氷河が発達し、地球上の水が氷となって陸地に貯えられたため、海の水はその分減少する結果となりました。約2万年前のウルム氷期最盛期には海水面は現在より100メートル程度低かったようです。海水面が100メートルも低いということは、大阪湾や瀬戸内海といった浅い海は陸地となっていて、海岸線は和歌山付近にあったと考えられます。人々は広大な平野で、ナウマンゾウやオオツノジカなどの動物の狩猟を行っていたのでしょう。大阪湾では漁師の網に掛かって、ナウマンゾウの骨が引き上げられています。

約1万年前に氷河時代が終わると気候は少しずつ温暖化し、大陸の氷河が溶けて海水面は徐々に上昇しました。大阪では上町台地を残して生駒山地の麓まで海水が押し寄せ、河内地域は「河内湾」とよばれる大きな入江となりました。寝屋川市域も郡(こおり)から国松・太秦(うずまさ)・高宮にかけての東部丘陵地域より西側の土地の低い地域は、すべて海の中であったと考えられます。東大阪市ではクジラの骨が発見されており、入江の奥まで入ってきていたことがわかりました。

この河内湾には、北から現在の淀川、南からは現在の旧大和川水系の河川となる川が流れ込んでおり、これらの川が上流から運んできた土砂を堆積して徐々に平野が形成されました。また、河内湾は上町台地の北側(現在のJR新大阪駅付近)で大阪湾とつながっていましたが、この湾口も土砂の堆積によって狭められてゆき、海水の行来が少なくなって河内湾の塩分濃度も低くなっていきました。今から1800~1600年前(弥生後期~古墳前期)には湾口の部分はさらに狭まって外海の影響を受けなくなり、河内湾は淡水の湖(河内湖)となっていたようです。河内湖も次第に小さくなってゆき、今から200年前の江戸時代には河川に沿って池や沼となってその痕跡を残すのみとなっていたようです。こうした池や沼も大和川付け替え以降の大規模な新田開発によって陸地となっていきました。こうして、河内地域の広大な平野ができあがったのです。

寝屋川市域では、縄文時代前期~中期(6000~4000年前)の遺跡は東部丘陵周辺でしか見つかっておらず、この時期は市域の西側が河内湾となっていたようです。縄文時代晩期(2500年前)の土器が市域中央部の昭栄町の長保寺遺跡から見つかっており、陸地化が進んでいく状況がわかります。弥生時代中~後期(2000~1800年前)にはさらに西側の高柳遺跡や池田西遺跡で竪穴住居跡が見つかっており、市域の大部分が陸地化していたようです。ただし、こうした遺跡は河川が形成した自然堤防と呼ばれる限られた微高地に営まれていたようで、それ以外の低湿な土地は最近まで水田やレンコン畑として利用されていました。

市域で最後まで陸地化が遅れたのは南部の寝屋川や深野池に面した地域です。この地域は江戸時代の新田開発によって耕地となり、萱島流作新田・河内屋北新田(現在の河北)となりました。

神田(かみだ)天満宮のくすのき (大阪府指定天然記念物)

神田天満宮のくすのき

寝屋川市上神田2丁目2番2号

くすのきは、クスノキ科クスノキ属の常緑高木で、本州の関東以西に自生します。花期は5~6月で黄白色の小さな花をつけます。果実は直径7~8メートルメートルの球形で、10~11月に熟し、暗紫色で光沢があります。材は強い香りがあり、樟脳をとるほか、家具・建築材・工芸品や丸木舟の船材に利用されてきました。河内平野には門真市三ツ島の薫蓋樟(くんがいしょう)(国指定天然記念物)をはじめ多くの巨木が生育していることが知られています。
神田天満宮には、境内に数本のくすのきの巨木が生育していますが、このうち社殿東側の1本は「千年くす」と呼ばれており、幹回り10メートルをはかる本市最大、府下有数の巨木です。かつては高さ33メートルをほこり四方に枝を広げていましたが、その後樹勢の衰えが目立ち、昭和58年、平成元年、平成7年、平成13年に蘇生作業を実施しました。その際に枯幹・枯枝の切除を行ったため、現状では15メートル程度の高さとなっています。蘇生作業の結果、2本の生きている幹からは新芽が発育し、青葉が幹を覆い隠すように繁るようになっており、かつての樹勢を取り戻すようになりました。

春日神社のスダジイの社叢 (大阪府指定天然記念物)

春日神社のしいの社叢

寝屋川市国松町20番4号

スダジイは、ブナ科シイ属の高さ20メートルに生育する常緑高木です。5月下旬~6月に強い香りのある花が咲き、秋に実(堅果)をつけます。実は長さ12~20センチメートルの卵状長楕円形で、生あるいは炒って食用にされます。スダジイは日本の暖帯林の最重要樹種で、東北南部以西の本州~九州の丘陵・山野に広範に分布します。建材や薪炭材のほかシイタケ栽培のほだ木として利用されます。
国松町の春日神社には、社殿を囲むように樹高10~15メートル、幹回り4メートル程度のスダジイの巨木が数本存在します。このうち、神社東側の堂池の池端にあるものは、幹を池側に大きく張り出しており、立派な樹形をしています。
人里近くにスダジイの巨木が群生することは珍しく、昭和56年(1981)に大阪府の天然記念物に指定されました。その後、一部の樹木に樹勢の衰えが認められるようになったので、昭和59年、平成4年、平成9年、平成13年、令和2年に蘇生作業を行っています。

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更新日:2021年07月01日