6 高宮廃寺跡コース
~太秦高塚古墳から古代の丘をそぞろ歩く~
距離:約9km / 所要時間:約3時間
MAP 6 高宮廃寺跡コース (PDFファイル: 2.6MB)
◆ コースの解説 ◆
・JR寝屋川公園駅東口(誘導サインあり)スタート
→改札口を出て左方向へ進み、店舗横の角を左折して細い道を進む
→直進すると十字路になっていて、JA北河内 打上支部の角に、四ツ辻の説明サインがある
→そこを左折して交差点を渡る
→右側に寝屋川公園の入口を見ながら、道なりに進む
→右側に旧第四中学校の校舎を見ながら進み、最初の角を左折する
→坂道を下りながら次の角を右折する
→右側に水本村役場跡公園がある(誘導サインあり)
水本村役場跡 (打上新町12)
四ツ辻
水本村役場跡
昭和36年(1961)までは、寝屋川市東部のJR学研都市線沿線は、北河内郡水本村の行政区域でした。水本村は明治22年(1889)に寝屋・打上・燈油の3つの村が合併してできました。人口は2000人余りで、村役場は打上のこの場所に置かれました。水本村は、昭和36年に寝屋川市と合併したことで現在の寝屋川市の形となりました。
→水本村役場跡公園の中を通り、階段を上り、出て右折する
→旧第四中学校の角に誘導サインがあるので、そこを左折する
→旧第四中学校の塀沿いに進み、つきあたりを左折する(誘導サインあり)
→直進すると、寝屋川公園草の丘の入口があるので、入って道なりに進み、道路の方へ下りていく
→道路に出たら左折し、「寝屋川公園西1号」の信号を渡り、第二京阪道路の高架下をくぐる
→続いて「寝屋川公園西2号」の信号を渡って進み、「焼却場南」の交差点を渡ってすぐに左折する
→豊野浄水場の周囲に沿って歩道を進む
→「豊野浄水場南」の交差点を右折して、坂道を上る
→豊野浄水場正門横に太秦高塚古墳がある
太秦高塚古墳【市指定史跡】(太秦高塚1)
円筒埴輪
大阪市水道局豊野浄水場正門の横に所在する古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた古墳です。古墳は上から見ると直径37mの円丘部の北西側に方形の造出を持ち、周囲に濠が巡っています。発掘調査によって墳丘が2段に築かれており、1段目の平坦部分に円筒埴輪が並んで立てられていたことがわかりました。墳頂部では、死者を納めた木棺の跡が見つかり、鏃(やじり)や甲(よろい)などの鉄製品が出土しました。平成13年に史跡整備が行われ、太秦高塚古墳公園として市民に公開されています。(市指定史跡)
→太秦高塚古墳を出て右方向へ進み、坂道を下る
→「太秦住宅」バス停を通過して、2つ目の角を左折する
→道なりに下っていくと、右側に熱田神社がある
熱田神社 (太秦中町4)
鹿形埴輪
太秦地区の氏神で、祭神は日本武尊です。入口の鳥居は享保8年(1722)の銘があり、江戸時代に建てられたものです。境内からは古瓦が出土しており、また、建物の柱の下に据えた礎石と思われる巨石が認められたため、付近に古代寺院(太秦廃寺跡)があったと考えられています。付近では牡鹿の埴輪の頭部(市指定文化財)が出土しており、太秦古墳群と関係する古墳があったと考えられます。
→熱田神社を出て右方向へ進み、太秦中町公民館横を通過し、少し坂道をのぼる
→右側に太秦元町公民館を見ながら進むと十字路があるので左折する
→少し坂道になった角の左側は太秦高齢者福祉センターで、右側に誘導サインがあるので、その角を右折する
→右側に太秦寺を見ながら坂道を下る
→左側に「寝屋川東保育園」の看板がある角を右折する
→左側に寝屋川東保育園を見ながら、2つ目の角を右折する
→住宅地の中に伝・秦刀鍛冶屋敷跡の石碑がある
伝・秦刀鍛冶屋敷跡 (秦町35)

鎌倉時代に後鳥羽上皇が全国の名工に刀を造らせました。その中にこの地の出身である秦行国(行綱)と呼ばれる人物がいたとされます。秦地区には「鍛冶屋垣内」「献刀谷」という刀鍛冶に関連した小字(地名)が残っており、このあたりが刀鍛冶の屋敷があった場所と伝えられています。かつてこの一角にあった井戸は、この刀鍛冶が使用したものとされていました。
→来た道へ戻り、東保育園の看板のある角を右折して坂を下る
→坂道を下りたところに、信号のある交差点があるので渡ると、右側に市民会館がある(誘導サインあり)
→左側は第一中学校(誘導サインあり)
→第一中学校から来た道の方向へもどり、信号を右折する
→左側に東小学校、右側にJA北河内が見えてくる
→JA北河内駐車場角に豊野村役場跡の説明サインがある
→直進し、次の角を右折すると五藤池がある
豊野村役場跡 (高宮新町31)
豊野村は、明治22年(1889)讃良郡に属していた国松・秦・太秦・高宮・小路の5か村が合併してできました。村名の由来は「豊穣の沃野」(みのり豊かな土地)を意味します。ここには村役場が置かれ、昭和18年(1943)に他の1町2村と合併して寝屋川町となりました。
五藤池 (高宮新町12)
かつては本市最大のため池でした。大部分が埋め立てられ、市民会館や市立第一中学校、東コミュニティセンターが建てられています。高宮地区一帯の農業用水用のため池ですが、養魚も行われ、かつてはコイ・フナ・モロコ・エビなどの水揚げがありました。
→元のバス通りに戻って南へ直進し、「太秦交番西」の交差点を渡る
→高宮公民館前(誘導サインあり)の角を左折し、細い道を上っていく
→つきあたりに秋玄寺(十三仏板碑)がある
→来た道を戻り、高宮公民館裏手の角を左折すると高宮神社がある
秋玄寺(十三仏板碑)【市指定文化財】 (高宮2丁目8)
十三仏板碑
秋玄寺の十三仏板碑は、舟形で石の正面に初七日から三十三回忌までの仏事供養をつかさどる13の仏が彫られています。高さが114cmあり、本市最大のものです。永禄13年(1570)の銘をもつことから、戦国の世に立てられたことがわかります。市指定文化財になっています。
高宮神社 (高宮2丁目11)
平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』に神社名が記されている、いわゆる延喜式内社と呼ばれる由緒のある神社です。江戸時代には旧讃良郡の一の宮でもありました。祭神は天剛風命(あめのこかぜのみこと)で、大杜御祖神社の祭神の天萬魂命(あめのよろずたまのみこと)の子神とされています。大杜御祖神社も延喜式内社で、一つの村の中に延喜式内社が2か所もあるのは珍しいことです。
→高宮神社前の道を上っていくと、左側に大蛇の井戸がある
→さらに坂を上り、つきあたりを右折して、道なりに進む
→つきあたりに権現堂池があるので、池に沿って進む
→十字路角(誘導サインあり)を左折し、急な坂道を上っていくと石の鳥居がある
→少し進むと、右側に高宮遺跡(誘導サインあり)がある
→さらに進むと大杜御祖神社(高宮廃寺跡)社殿が見えてくる
高宮遺跡 (高宮2丁目11)

高宮廃寺跡の周囲に広がる遺跡です。廃寺西側の住宅開発に伴って行われた発掘調査では、一辺1m以上の巨大な柱穴をもつ建物跡がみつかりました。見つかった柱穴は埋戻し保存され、一部は児童公園内にカラーブロックで遺構表示されています。同様の建物跡は、高宮廃寺跡の下層でも見つかっており、高宮廃寺より古い時期のものと考えられています。この建物は高宮廃寺を建立した氏族に関わるものではないかと想定されます。
大杜御祖神社(おおもりみおやじんじゃ) /高宮廃寺跡【国指定史跡】(高宮2丁目13)
境内には古瓦が散布し、建物の土壇(基壇)や礎石が残されていることから、古代寺院の存在が知られていました。実際に発掘調査が行われ、飛鳥時代の終わり頃(白鳳時代:7世紀後半)に建てられたことがわかりました。東塔および金堂の基壇や、講堂・回廊といった建物遺構が見つかっています。高宮廃寺は創建後、奈良時代を通じて営まれた後廃絶し、鎌倉時代~室町時代に再建されたと考えられ、北河内地域でも屈指の古代寺院跡として、昭和55年(1980)に国指定史跡となりました。
→神社前の道を奥へ進み、右側に池のある細い道を通り、住宅地へ出たら、そのまま直進し、坂道を上る
→坂のつきあたりは、第二京阪道路の側道になっているので、出て左折し、一つ目の交差点で右折して信号を渡る
→交差点を渡り切った右側はみはらし公園で、その横の道を坂道をおりながら直進する
→「明和西」の交差点を渡って左折し、直進する
→左側に西方寺を見ながら進むと「明和」の交差点につきあたるので、そこを右折する
→しばらく進むと、道路工事中の為、道がカーブしているが、そのカーブに沿って進み、カーブが終わってすぐを左折する
→左側に国守神社があり、その前の坂を下りてすぐを右折して、道路高架下トンネルをくぐる
→つきあたりを左折して、細い上り坂を上る
→坂道を上りきると、正面に高倉消防団の消防ポンプ車庫が見える
→左方向へ行くとポンプ車庫の隣に二月堂灯篭がある
→来た道を戻り、南方向へ道なりに進むと、右側に正縁寺がある
二月堂灯篭 (高倉1丁目12)
府道枚方富田林線沿い高倉1丁目にある消防ポンプ車庫の横に、2つの石灯篭が並んでたっています。左側の大きな灯篭は天保14年(1843)の年号が刻まれており、江戸時代末に自然石を組み合わせて建てられたものです。正面には「二月堂」と刻まれており、この地にあったとされる「二月堂観音講」の人々によってたてられたと考えられます。
正縁寺 (高倉1丁目8)
十三仏板碑
浄土宗知恩院の末寺で、元は守口市佐太の来迎寺の末寺でした。境内には石仏・板碑など様々な石造物が遺されています。特に「南無阿弥陀仏」と刻まれた2基の六字名号板碑にはそれぞれ永禄2年(1559)・天正18年(1590) 、十三仏板碑には天正14年(1586)の年号が刻まれています。いずれも、中世に製作されたことがわかります。
※石造物の拝観を希望される人は寺院の庫裏に声をかけてください。
→正縁寺を出て、南に進み、讃良川にかかる新橋手前を左折する
→讃良川に沿ってしばらく進み、JR学研都市線の高架をくぐる
→さらに川沿いを進み、右側に旧梅が丘小学校が見えてきたら、橋の下を左折してくぐり、出てすぐの細い坂道を上る
→二手に分かれた道の左側へ進み、「打上公園」バス停を通過しながら、坂道を上る
→さらに進み、坂を下ったところにある「打上団地前」交差点を、歩道橋で渡る
→寝屋川東ファミリータウン中1番館1階奥へ進むと、埋蔵文化財資料館がある
→埋蔵文化財資料館を出て、「寝屋川公園駅前」交差点を渡ると、JR寝屋川公園駅に到着
市立埋蔵文化財資料館 (打上宮前町3)

高宮遺跡出土「土馬(どば)」
昭和56年、JR東寝屋川駅(現寝屋川公園駅)前の寝屋川東ファミリータウン中1番館の一角に開設された北河内地域最初の文化財展示施設です。市内の遺跡から見つかった土器・石器・木製品等の考古資料をテーマごとに展示しています。常設で展示している高宮八丁遺跡出土貯蔵穴(弥生時代)と長保寺遺跡出土古代船(古墳時代)は、市指定文化財です。
- 入館料:無料
- 開館時間:午前9時~午後5時15分
- 閉館日:毎週月・火曜日、年末年始、展示替えによる臨時休館期間あり(年1回)
更新日:2025年03月11日