太秦高塚古墳史跡整備事業
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5世紀後半の古墳のなかで北河内地域最大級の規模です
太秦高塚古墳とは?
太秦高塚古墳は、太秦高塚町に所在する古墳で、周辺は、生駒山地から派生した標高40~50メートルの丘陵がのびています。付近には「塚」などの地名や発掘調査によって多数の古墳が存在したことが分かり、「太秦古墳群」と呼ばれていますが、現存するのはこの太秦高塚古墳のみです。
市の取組み
市は、古墳を平成9年に市指定史跡第1号に指定し、保存を行ってきました。これからの保存と市民のみなさんへの公開・活用を目的に、市制施行50周年記念事業として、史跡の整備を行っています。
発掘調査
平成9年に行った測量調査によって、直径35メートル・高さ5メートルの円墳と推定されていましたが、これまで発掘調査を行っていなかったため、古墳についてくわしくは分かりませんでした。市教育委員会は、整備工事の基礎データを得ることを目的に、平成13年5月~8月にかけて、太秦高塚古墳の発掘調査を行いました。
円筒埴輪列(北西調査区)
造り出し部分(外側から撮影)
発掘調査の成果
- 古墳は、直径約37メートル、周濠の底からの高さが約7メートル(復元値)の円形の古墳で、北西に造り出しと呼ばれる方形の区画をもつことが初めて分かりました。
- 古墳は二段につくられていることが分かりました。一段目のテラス(平坦部)は幅2.5メートルで、部分的に円筒埴輪の底の部分が立っていた状態で見つかっていて、埴輪列がめぐっていたことが分かりました。
- 葺石(ふきいし)となるような石は出土していません。斜面の部分には葺石が施されていなかったと考えられます。
- 造り出しの部分からは、人物・家・盾(たて)・鶏・水鳥などの形をした埴輪や土器が出土し、この部分で古墳のまつりが行われたことが分かりました。
- 頂上部分は、土砂の流出で変形していましたが、東側で主体部の一部が残っていて、ここから短甲・鏃(やじり)・斧・馬具などの副葬品が見つかりました。
- 出土した埴輪や須恵器の特徴から、古墳時代中期後半(5世紀後半)に造られたと考えられます。
造り出し部分の円筒埴輪列(北側から撮影)
造り出し部分出土の水鳥埴輪
主体部副葬品の出土状況(左:短甲、右:鉄鏃群)
太秦高塚古墳のこれから
太秦高塚古墳は、5世紀後半に築かれた古墳で、同時期では北河内地域最大級の規模をもつことがことが分かりました。
太秦高塚古墳は、平成13年12月から整備工事を行い 、平成14年4月1日に「太秦高塚古墳公園」として開園しました。発掘調査の成果をもとに、古墳の築造当時の状態に復元し、一段目には復元した埴輪を並べています。
更新日:2021年07月01日