平成28年6月号「二十箇用水樋記念碑」
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府立水生生物センター前を淀川の堤防に向かうと、右手に二十箇用水樋記念碑が見えます。かつて樋門があった辺りで、堤防と工場に囲まれています。
豊臣秀吉の文禄堤で淀川分流を断たれた木屋、郡、田井、平池、石津、太間の友呂岐庄6か村は木屋村の堤に取水管を入れ、灌漑用水を引きました。
その後、下流の村が次々と加入しました。享保9年(1725)には、最初の友呂岐庄6か村を別格として、20か村に灌漑する二十箇用水が成立しました。
昭和5年、二十箇用水樋は枚方合同樋管に統合され、幹線水路が設けられました。記念碑はこの年、当時の管理者(地方事務官)の名で建立されました。
更新日:2021年07月01日