平成29年8月号「寝屋川球場跡の碑」
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市役所近くの市道池田秦線に面した一角に、ちょっと変わった形の石碑が立っています。近寄って見ると「寝屋川球場跡」と、記されていました。
京阪電鉄が大正11年につくった京阪グラウンドは球場のほか陸上競技場などを併設。関西初の本格的な球場で、大正13年に甲子園球場ができるまで日本一といわれました。阪神・鳴尾球場の全国中等学校野球大会を移す話があったほどで、同大会の府予選や東西の大学対抗戦などが行われました。また昭和2年、高松商業対和歌山中学という、夏と春の優勝校による日本一決定試合も今に語り継がれています。
球場跡は昭和17年以降、閑静な住宅地に生まれ変わりました。
更新日:2021年07月01日