令和3年6月号「小路彦神霊碑、国松神霊碑(京都市左京区)」

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小路彦神霊碑、国松神霊碑などがある墓石の写真

 幕末に会津藩などと長州藩が京都御所付近で激突。禁門の変(1864年)で亡くなった小路村(現小路地区)の仙太郎(当時24歳)と国松村(現国松町)の平兵衛(同32歳)の墓碑です。
 会津藩主の松平容保は当時、京都守護職を務めていました。その役の知領として小路や国松、寝屋、高宮などが与えられました。
 2人は会津藩に雑役を担う軍夫として動員されて戦死。藩が本陣を構えた金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の会津藩殉難者墓地に祭られ、向かって左端(手前)が仙太郎、右端(奥)が平兵衛の碑です。
 墓地には禁門の変の前から犠牲になった藩士ら237人の墓石が並び、仙太郎や平兵衛のように苗字がない庶民もいました。
 2人の碑は、小路地区に隣接する四條畷市岡山と国松町の共同墓地にもそれぞれ建てられています。

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更新日:2021年07月01日