平成27年5月1日号「寄進の鳥居」
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「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士の子孫が寄進したという鳥居が鞆呂岐神社の奥宮にあります。小さな鳥居で「播州赤穂城主浅野長矩家中四十七人之内村松喜兵衛秀直四代之孫村松喜兵衛源高次」と刻まれています。
喜兵衛は江戸詰めで、主君の刃傷事件のあと、初めて国許へ入り、大石内蔵助に盟約の血判書を提出しています。江戸では町医者に扮して吉良邸を探索、長男の三太夫とともに討ち入りに参加しました。
討ち入り後、父子は切腹し、次男の政右衛門は伊豆大島に流されました。政右衛門はその後、許されて旗本に仕官しますが、晩年は不明です。鳥居を寄進した喜兵衛高次はこの政右衛門の直系と考えられます。
鳥居に紀年銘はありませんが、江戸中期のものと見られます。興味深いのは、秀直には木屋と関係のありそうな木屋孫三郎という町人の弟が江戸・両国橋辺りにいました。高次は知己を頼って木屋に移り住み、寺子屋を開いたようです。
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更新日:2021年07月01日