令和6年4月号 波乱万丈の騎手人生JRA移籍し602勝 調教助手柴山雄一さん
調教助手 柴山雄一さん
地方競馬でデビューし、体重調整に苦労しながらも移籍した日本中央競馬会(JRA)で602勝をマーク。昨年末、多くのファンに惜しまれながら引退し、競走馬の世話やトレーニングを担う厩舎(きゅうしゃ)の調教助手として新たなスタートを切りました。
母親の一言きっかけに地方競馬でデビュー
「騎手を目指しては」。きっかけは中木田中学校の3年生のとき、JRAの競馬学校を紹介するテレビ番組を見た母親のけい子さんの一言でした。しかし競馬学校は3度受験していずれも不合格。それでも騎手になる夢を諦めず、地方競馬の養成所で訓練を受け、20歳のときに岐阜の笠松競馬でデビューしました。
競走馬は年齢や性別で背負う負担重量が決められており、騎手はこの負担重量に合わせて体重をコントロールします。「骨太の私は4キログラムくらいの減量が必要でしたが、何度も体重がオーバーしてクビになりかけました」。
そんなときに師匠と仰ぐ調教師の奥さんが食事面でサポートしてくれるなど多くの人に助けられ、26歳で地方競馬300勝を達成しました。
減量苦乗り越え中央移籍4人目の快挙
笠松競馬で若手のホープと注目されると、3度はね返された中央競馬への夢が再び膨らみました。同じ笠松競馬出身でJRAの騎手免許試験に合格した安藤勝己さんにも勧められ、1日5~6時間の猛勉強で一発合格。地方競馬出身者として4人目の快挙に周りも驚き、JRAの試験に挑む仲間が増えたといいます。
中央競馬のレースは出走馬も多く、「初めは思うような競馬ができませんでしたが、美しい芝生のコースを気持ちよく走れました」と振り返り、1年目で80勝を記録。勝てない時期も続きましたが、移籍11年目には72勝を挙げて復活を果たしました。
多くの人に支えられ25年 GI勝利の夢はまだ続く
2年前から体調を崩すこともある中で昨年7月、高額賞金の重賞レース12勝を含むJRA通算600勝に到達。武豊騎手らがお祝いに駆けつけ「この先、これ以上の出来事があるだろうか」との思いもあり引退を決めました。
12月28日、千葉・中山競馬場でラストラン。JRA通算1万636戦目となる最後のレースを終えると、騎手仲間や駆けつけたけい子さんと記念写真に納まり、「多くの人に支えられた25年間でした。小学生のときに父を亡くし、女手一つで育ててくれた母には感謝しかありません」。
調教師を目指し、夜明け前には厩舎に入る生活が始まりましたが、心残りは最高位のG1(ジーワン)レースに勝てなかったこと。17年前の菊花賞では1番人気の馬で優勝を逃し「より近くで馬と触れ合え、今度は厩舎の一員としてG1.勝利の報告ができるように頑張りたい」と第2の人生に心を弾ませています。
私とふるさと
幼稚園のときに寝屋川市に引っ越しました。姉と一緒に楠根小学校と中木田中学校に通学。近所の人には本当に仲良くしてもらいました。
小学校のときはキックベースボールや虫取りをして遊び、中学校では軟式テニス部に。大阪府の大会では団体戦で3位に入りました。今も毎年1度は帰省しています。
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更新日:2024年03月26日