令和5年2月号 「この海がオレの職場や」 持続可能な漁業を追い求める カキ養殖業 浅尾大輔さん(43歳)

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船でいかだに向かう

船でいかだに向かう

カキを水揚げする浅尾さん

カキを水揚げする浅尾さん

高校を卒業すると、いろいろな仕事をしながら自転車やバイクで全国を放浪し、飛び込んだ世界が漁業でした。美しいリアス式の海岸が続く三重県鳥羽市。養殖イカダが浮かぶ入り江を臨み、「海が職場ってかっこいいでしょう」と浅尾大輔さんは誇らしい表情を見せていました。

海にひかれ一大決心 漁業権を譲り受け転身

元々、漁業とは無縁でした。全国を転々とした後、伊勢志摩のホテルで働いていたときに知り合い、結婚した奥さんの親戚が鳥羽市の浦村地区でカキ養殖を営んでいました。休日に手伝っているうちに海の仕事がすごく楽しくなり、一大決心。その親戚から漁業権を譲り受け、29歳で養殖業者に転身しました。

最初は独自の販路がなく、思いついたのが焼きカキ。「ドラム缶を半分に切ったコンロで焼き、掘っ立て小屋で売っていました」。当時数軒しかなかった『カキ小屋』は今では20軒以上に。冬のシーズンに多くの観光客が訪れる浦村地区の名物になりました。

カキ殻を再利用 アサリ養殖で天皇杯受賞

全国的に収穫量が減っていたアサリの養殖にも取り組みました。海底の土壌の酸性化が一因と言われていたため、環境改善に効果があるとされていたカキ殻を加工した固形物を使って実験。砂利と一緒に袋状のネットに入れ、産卵期の海岸に並べたところ、想定していた海辺ではなく、ネットの中でアサリが育っていました。

「育成にちょうどいい環境だったネットに、稚貝が入り込んだのです。ヒョウタンからコマのような話」とびっくり。若手業者を中心に設立した「浦村アサリ研究会」で試行錯誤を重ね、ネットで採取した稚貝をカキのイカダで大きくする養殖に成功。カキシーズン以外の春から秋にかけてアサリの水揚げが可能になりました。平成25年に農林水産祭で天皇杯を受賞。天皇陛下から激励された浅尾さんは全国でアサリ養殖の指導に当たる一方、多くの視察を受け入れてきました。

津波の苦難乗り越え 効率化で業者団結

試練も相次ぎました。12年前の東日本大震災では「川のような流れだった」という津波の影響で多くのイカダが損傷し、昨年1月には南太平洋・トンガ沖の海底火山噴火による潮位の変化で数百台のイカダが流出しました。

こうした苦難や高齢化を「団結して乗り越えよう」と、昨年7月、仲間12人でカキ養殖会社「浦村シーファーム」を立ち上げました。「それぞれが船や加工工場を持ち作業性が悪かった」といい、イカダや工場を共同化。カキを洗浄する大型機械も購入して作業の効率化を図り、焼きカキを提供する店もオープンしました。

「漁業に生きがいと可能性を感じた」と養殖業の道を歩み、養殖のノウハウも惜しみなく公開してきた浅尾さん。「これからの時代は互いがつながり合い、技術や知識を共有して持続可能な漁業を追い求めることが大事です」と熱く語ります。

私とふるさと

市立国松緑丘小学校に入学し、転校した中央小学校を卒業しました。第一中学校から高校に進学し、卒業するまで寝屋川市に住んでいました。

小さい頃から近くの竹林などを駆け回ったり、寝屋川でザリガニを捕ったりして遊び、わんぱくで行動派。警察官で剣道の有段者だった父親の影響もあって、小学校3年生から道場にも通っていました。

私の周りにいっぱいいた個性豊かな人たちともすぐに仲良くなるなど寝屋川市で培われたコミュニケーション能力は、今の仕事にも生かされています。

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更新日:2023年01月26日