令和4年4月号 「まさかカズさんと一緒に!」Jリーグで11年間プレー 横浜FCユースコーチ 田所諒さん(35歳)

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カズダンスを踊る三浦選手(右)と喜ぶ田所選手

カズダンスを踊る三浦選手(右)と
喜ぶ田所選手

サッカーJリーグの2チームでプレーし、「出来すぎの11年間でした」と振り返る寝屋川市出身の田所諒さん。指導者として3年目を迎え、「将来はJリーグの監督に」とさらなる高みを目指しています。

小学生で抱いたプロの夢 大学生で"奇跡"起こす

点野小学校1年生のときに地元のサッカークラブに。仲間の多くは中学生になっても同じクラブでプレーしましたが、田所少年はセレッソ大阪のジュニアユースの選抜試験に挑戦し合格。ユースに昇格し、「小学生の頃に漠然と考えていたプロ選手を具体的に思い描くようになりました」。
ところが進学した大阪体育大学のサッカー部が、3年生のときに関西大学リーグの1部から降格。「2部の選手はなかなか注目されないのですが奇跡が起きたんです」。翌年の全日本大学トーナメントで頂点に。崖っ縁からプロの夢をぐっと引き寄せたのです。

岡山で夢のJリーガーに 横浜FCではカズとプレー

ポジションはDF(ディフェンダー)。「走ることしか取り柄がない」と話しますが、小さい頃から自信があった豊富な運動量を買われてJ2リーグに昇格したファジーノ岡山で夢を叶えました。
憧れの選手は「カズ」の愛称で人気の三浦知良選手(鈴鹿ポイントゲッターズ)です。中学生まで同じ背番号11を付け、自分が得点すれば"カズダンス"を踊っていました。その三浦選手が在籍する横浜FCに平成28年に移籍。翌年の試合ではゴールを決めた三浦選手の前で派手にカズダンスを披露し、「舞い上がってしまいました」と苦笑します。

ひざ故障もチームが計らい ファンにあいさつの機会も

次のシーズンも充実した日々を送っていましたが、9月に状況は一変します。試合で左ひざのじん帯を断裂し、全治8か月。病院の電話口で泣きながら妻に「引退かも」と告げました。それでも翌日にチームから翌年の契約更新を伝えられ、「本当に救われました」。
しかし出場機会は減り、令和元年10月に引退を決意。チームはJ1昇格を争い、残り2試合は1つも落とせない状況でしたが「古巣の岡山戦に出してもらい、ファンに挨拶の場を作ってくれました」。

「幸せなプロ生活でした」 将来はJリーグ監督に

左サイドを走り続けて通算302試合、11得点の成績を残して現役を退き「幸せなプロ生活でした」と在籍した2チームに感謝します。
今は横浜FCのコーチとして若手選手を育成し、自身の目標はJリーグの監督。そのためには日本サッカー協会公認のS級ランセンスが必要で「日々勉強。指導力を付けてライセンスを取得し、岡山の監督になれたらうれしい」。

私とふるさと

点野小学校と第八中学校に通学。サッカーに明け暮れ、勉強したという記憶はありません。
友だちとはよく銭湯に行って遊んでいました。夏の寝屋川まつりや実家の近くの仁和寺氏神社のお祭りに行くのを、毎年楽しみにしていました。
大学4年生まで住んでいましたが、今も時々帰省しています。
都会すぎず、田舎すぎず。寝屋川市はちょうどいい街だと思います。

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更新日:2022年03月25日