令和3年9月号 指揮者は中小企業の社長さん 板金塗装会社代表取締役 近澤裕明さん(48歳)

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指揮棒を持つ近澤さん
近澤さんの指導で練習する楽団員

近澤さんの指導で練習する楽団員

従業員120人の社長がオーケストラを率いる指揮者の顔に――。寝屋川市生まれの近澤裕明さんは、週末になると四国の市民楽団でタクトを振り、コントラバスの奏者としても活躍しています。

土曜日の午後。香川県丸亀市内の練習会場に丸亀シティフィルハーモニックオーケストラを指導する近澤さんの姿がありました。約3時間の練習が終わると、「これから愛媛の市民楽団を見てきます」と車で140キロメートル離れた松山市に向かいました。

「アイドルよりクラシック」 いつも楽器がそばに

幼い頃、ピンク・レディーなどの人気アイドル歌手には見向きもせず、レコードでクラシックを聴く子どもだったそうです。
寝屋川市立池田小学校に入るとピアノ教室へ。板金塗装業を営む父親の仕事の関係で転校した丸亀市の小学校では金管楽器のユーフォニアムを吹き、高校の管弦楽部ではチューバを担当。いつも楽器がそばにありました。
転機は部長だった2年生のときに訪れました。参加した全国高等学校総合文化祭でのこと。管楽器に比べて弦楽器の人数が少ない編成について「管弦楽団の体をなしていない」と酷評され、弦楽器を増やす改革を断行。「私も未経験のコントラバスに転向したことがオーケストラの世界に入るきっかけとなりました」。

音大でコントラバス専攻 指揮の面白さも知る

「大学を出るまで好きにさせてほしい」。父親に頼んで音楽科がある岡山の短大でコントラバスを専攻。音楽大学に編入すると、代理でオーケストラの指揮を初めて務めました。
このときの曲が総合文化祭でも演奏したドボルザークの『交響曲第8番』。「つらい思いをした曲でしたが、奏者と心を通じ合わせ音楽を創り上げていく指揮の面白さを知りました」。
卒業後、愛媛の銀行に就職しましたが、父親が病に倒れ家業に専念。音楽活動を離れた7年間は「言いようのないストレスを感じた」そうですが、四国塗装工業グループの社長に就任した33歳のときに知人の勧めもあって丸亀シティフィルに入団しました。
6年後、念願の定期演奏会でブラームスの『交響曲第1番』など2曲を指揮。80分間タクトを振り続け、華々しくデビューしました。今も指揮者と、トレーナーと呼ばれる指導者として50人の団員を引っ張ります。
「アマチュア楽団では指揮者がトレーナーも兼ねて奏者の力を引き出して演奏ができるようにし、曲に表情をつけて形にするのです」。

「音楽も息が抜けません」 二足のわらじで奮闘中

大正7年、ベートーベンの『交響曲第9番』(第九)が国内で初めてドイツ兵俘(ふ)虜の楽団によって徳島で演奏されたことは知られていますが、楽団の活動は徳島に移る前の丸亀俘虜収容所から始まり、初演源流の街として年末に演奏会を開いてきました。昨年はコロナ禍で中止となり、2年ぶりの公演に向けて練習で振るタクトにも熱が入ります。
「私にとって音楽は趣味ではなく仕事と同じ。息が抜けません」と近澤さん。社長と指揮者の「二足のわらじ」で奮闘中です。

私とふるさと

若葉町で生まれましたが、家業の取引先が進出した丸亀市に父親が単身赴任。しばらく二重生活を送っていましたが、私が小学校2年生になるときに家族で引っ越しました。
当時は瀬戸大橋もなく、ゴールデンウィークや夏休みになると連絡船や電車を乗り継いで度々、若葉町の祖父母宅に帰っていました。
近くの公園にはアルファベットをかたどった遊具がありました。「ABC公園」と呼んでよく遊んでいましたが、香川の小学校で使っていた社会科の本にこの公園が紹介されていたので、びっくりしたのを覚えています。

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更新日:2021年08月26日