令和3年7月号 ラガーマンから研究者へ 神戸親和女子大学教授 平尾剛さん(46歳)

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平尾剛さん
大学の研究室で

大学の研究室で

同志社香里中学校で始めたラグビー。「最初はボールを回転させるスクリューパスができず、負けず嫌いに火が付きました」。その悔しさはすぐ楽しさに変わり、気付けば31歳まで楕(だ)円球を追いかけていました。

中学校で入部したバスケットボール部が「面白くなくて」と半年で退部。すぐにラグビー部の友人から声がかかりました。「徒競走で負けたことがなく、即戦力になると思ったのでしょうね」。
そのスピードとステップで相手を交わすプレーが得意でした。同志社大学ではフルバックで活躍し、全国大学選手権でベスト4入り。大学の先輩の平尾誠二さんが監督の社会人チーム・神戸製鋼から誘われましたが、三菱自動車工業京都を選びます。
「タックルを受けて脱臼した右肩のけがに苦しみ、仕事とラグビーが両立できる三菱に入りました」。

「お前を選んだからな」 監督の電話でW杯に

入社してすぐ日本代表候補選手に。合宿では日本代表選手のプレーについて行けなかったのですが、むしろ「もっと高いレベルで自分を試したい」と思ったそうです。平尾監督に思いを告げると「今でもとるぞ」との返事。神戸製鋼に移籍したのは、平尾監督が日本代表を率いる1999年ワールドカップ(W杯)の半年前のことでした。
ところが再び右肩を脱臼。代表入りは半分諦めていましたが、「監督から『お前を選んだからな』と直接電話があったときの喜びは一生忘れません」。
1次リーグは4か国ずつ5組に分かれて行われ、ベンチ外だった平尾さんは2戦目ウェールズ戦に抜擢(ばってき)されました。日本は3戦全敗の結果に終わりましたが、それでも「W杯はここまで選手を高ぶらせるのかと思うほど、皆の目の色が違っていました」。

31歳で現役引退、大学教授に転身

W杯から6年後。練習中のタックルで立ちくらみがし、目の前が二重に見えるようになりました。原因はわかりませんでしたが、医師は「右目の視神経に障害が起きたのではないか。試合中に起こした脳震盪(しんとう)の後遺症も考えられる」と指摘。リハビリでも改善せず、31歳で現役を退きました。
引退後、指導者を目指して神戸親和女子大学の大学院へ。ラグビーで体感した感覚的なプレーや予測能力を理論的に考えることが面白くなり、研究者の道を歩みます。
スポーツ教育学などが専門。「神戸製鋼時代に筋トレに励んだ結果、重りを付けたように体が動かず、得意のステップもできなかった」という体験から、出版した『脱・筋トレ思考』では、「筋トレ一辺倒だとパフォーマンスも上がらない」と説きます。

脳震盪の後遺症問題 「世界中でケア進む!」

グラウンドを去って14年。今年1月、久しぶりに右目の検査を受けると「脳震盪の影響ではなく、大学の試合中に受けた打撲が原因ではないかと言われました」。
それでも「後遺症は各国で報告されており、重要な問題」と指摘。「試合中に倒れた選手はプレーを続行できないなど、最近は脳震盪に対するケアも進んでいます」。自身が長年悩まされ続け、今の研究者の立場からも、指導者や選手一人一人が危険性を正しく理解して対応する必要があると訴えています。

私とふるさと

幼稚園に入る頃まで成田山の近くに住み、同志社香里中学・高校の6年間は枚方市内から自転車で通っていました。
もちろん初詣は成田山。周辺の交通が規制される正月も地元住民は自由に通行でき、子どもながらにうれしかったです。近くの四方黒池は祖母とよく行ったお気に入りの場所でした。
香里園駅周辺でよく遊んでいました。部活帰りに寄った中華料理屋さんは“超大盛り”が名物。店主が少しずつ多めにしてくれ、食べ盛りの高校生ラガーマンがお腹一杯になるほど。後に「君らが大盛りの店にしたんや」と言われました。
寝屋川市は青春時代を過ごした街です。

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更新日:2021年07月01日