令和3年2月号 「ダウンタウンDX」と共に22年 名物プロデューサー 西田 二郎さん(55歳)

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西田二郎さんの顔写真
西田さんが腕組をしており、後ろにはテレビ「ダウンタウンDX」のセットが設置されている写真

今も続く「ダウンタウンDX」でチーフプロデューサーも務めた西田さん

長崎の佐世保駅の前で写っている西田さんが出演した深夜番組の映像の写真

演出し、自ら出演した深夜番組でも日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞

 トークバラエティーの「ダウンタウンDX」など数多くの人気番組を送り出した寝屋川市出身の名物プロデューサー。読売テレビで「部長」の肩書きを持ちながら、その活躍は多岐に及びます。

 「みなさん あけましておめでとうございま~す。Nj(エヌジェイ)西田二郎でございます」。1月4日のFMラジオ番組。作詞作曲し、自ら歌う曲に乗って元気な声が聞こえてきました。
 今の肩書きは「事業開発専門部長」です。れっきとした会社員でありながら令和元年に配信シングル「ロコの星」をリリースし、「Nj」の名前で歌手デビュー。パーソナリティーも務めるラジオ番組から歌声が流れています。

テレビ志望の友人がきっかけ トントン拍子で入社

 大阪市立大学に在学中、就職先は銀行か不動産会社と考えていました。ところが、読売テレビを受けるという同級生の相談に乗ったことが人生の分岐点になりました。
 「志望理由を聞くと、誰でも思いつく内容でした。『これはダメや』と知恵を絞って考えているうちに、自分が受けようとなったのです」。
 面接で当時のテレビの問題点や番組作りのアイデアをぶつけると、これが面接官に受けました。トントン拍子で採用が決まり、平成元年に入社。研修日誌に「報道はできません」と書き続け、望んだ制作部門に配属されました。
 「僕にはものを客観的にとらえるジャーナリストとしての才覚や覚悟がなく、番組作りしかないと思いました」。

新人AD奔走し 斬新なアイデアで受賞

 最初はアシスタントディレクター(AD)として奔走しました。「先輩の演出意図をくみ取ってアイデアを出したり、下調べをしたり。何も知らずに飛び込んだ世界に戸惑うことばかりでした」。
 しかし、入社2年目にADで担当した深夜番組「EXテレビ」で、今も語り継がれる企画が生まれます。
 テーマは視聴率。番組終了後に他局の番組に1分間だけチャンネルを切り替えようという内容で、調査機が設置されている世帯に呼びかけたところ、ゼロから約2%にアップしました。
 「番組作りで皆すごいものを考えたいって思うものですが、自分の近くにあるアイデアだけで生まれたのがこの企画です」といい、その斬新な切り口で日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞しました。

ダウンタウン知らずに担当 先輩「それもいいんちゃう」

 4年目に「西田さんと言えば、これ!」という代表的な番組「ダウンタウンDX」と出会います。平成5年の立ち上げから22年間演出に携わりますが、当初は、お笑いコンビを組む尼崎市出身の浜田雅功さんと松本人志さんをよく知らなかったといいます。
 「へそ曲がりだったのですかね。大学のときに皆がすごく面白いと言うので、だったら僕は見なくてもいいかなって。そんなことで結果的によく知らなかったのです」。
 スタッフの一人に任命され、番組の先輩放送作家に相談すると、「変に知識があるより、むしろ知らない人がいるのもいいんとちゃう?」という返事。「そんな考え方もあるんや」と感心したそうです。

ヒット連ねて人気番組に 寝屋川で培った感覚いかす

 ちょうど2人が東京に進出した頃。トークを中心に据え、「スターの私服」や「視聴者は見た!」などスペシャル版を作るように、数々のヒット企画が生まれる人気番組になりました。
 「僕の思いですが、寝屋川市はいろいろな価値観がいい形でミックスし、『何でもやってやろう』という土地柄。この感覚が番組づくりにもいかせました」と明かします。
 企画はテキストではなく、映像で考えるのだといいます。「ハードディスクに録画するように街角をボーっと眺め、この無意識の視覚情報の中に企画の端緒になるハッとする何かがあるのです」。
 それでも最初の頃は言葉が足らず、うまく説明できなかったこともあったといいます。
 「ダウンタウンさんをよく知らずに無責任な提案もしていましたが、2人を理解している他のスタッフと相当ずれていたと思います。2人は『興味ないねん』と渋々聞いていましたが、『皆とずれているやないか』とは決して言いません。私を泳がせてくれる懐の深さがあり、そこがダウンタウンさんのすごさなんです」。

「何か生み出す火打ち石に」 会社員の枠超えて活躍

 テレビマン有志でつながる「未来のテレビを考える会」を代表して活動するほか、京都フィルハーモニー室内合奏団の副理事長も務めています。講演会の講師などいろいろな顔を持ち、サラリーマンの枠を超える活動を会社も見守っています。
 「僕は発火して光る火打ち石だと思っています。生まれ育った寝屋川市やそこの文化に誇りを持つことが大切なことで、会社も何かを生み出す存在と考えてくれていると勝手に解釈しているんです。この先も可能性をどんどん広げる活動をたゆまなくやっていくつもりでいます」。

私とふるさと

 子どもの頃の寝屋川市は駅前のにぎやかな喧噪(けんそう)もあれば、少し郊外には畑や山もありました。周りの町と比べても絶対に負けてないという誇りを持っていました。
 団地の中を路線バスが走り、スーパーもあった三井団地を格好いいなあと思っていました。
 異動で東京に行くことになった入社4年目まで住んでいました。市役所の近くにあった実家はもうありませんが、今も友だちに会うために寝屋川市に帰ることがあります。

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更新日:2021年07月01日