令和2年12月号 「チームの魅力を伝えたい」横浜DeNAベイスターズチーム付き広報 三島 輝史さん(35歳)

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笑顔で写っている三島輝史さんの写真
大阪桐蔭高校のユニフォームを着てマウンドに立ち左手にグローブをはめ、右手でボールを投げようと振りかぶっている写真

大阪桐蔭高校時代の三島さん

 戦力構想から外れてマウンドを去り、ホテルマンに転身した元プロ野球選手が再び球界に。チームに同行し、ファンと選手をつなぐ広報として球団の魅力を発信しています。

ドラフト会議でロッテが指名「プロ入り、まさか自分が…」

 18年前の夏、大阪桐蔭高校2年生のときに全国高校野球選手権大会に出場しました。1回戦の愛知・東邦高校戦に2番手として8回から救援。1学年上の西岡剛選手(元阪神タイガース)に「1点差やからまだチャンスはある。しっかり投げてこい」と送り出されたといいます。
 「9回途中まで投げましたが、実はよく覚えていないんです」。チームは惜敗し、一度きりの甲子園となりましたが、平成15年秋のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから5位指名。「プロ入りは全く意識していなかったので、うれしいのと同時に『まさか自分が…』という思いでした」。

1軍登板果たせず退団「それでも全く悔いはなし」

 速球が武器の右腕投手として期待され、翌年1月に入団。ファーム(2軍)とはいえ、先発を中心に登板し、2年目にはファームのリーグ優勝と日本一に貢献しましたが、その後は思うような結果を出せずにいました。
 原因の一つは投球モーションの見直しです。「修正したフォームが安定せず、成績を残せませんでした」。覚悟を決めて臨んだ5年目も1軍登板を果たせず、戦力外通告を受けました。
 2度挑戦したトライアウト(12球団合同入団テスト)でも声は掛かりませんでしたが、「やり切ったという感じで、悔いはありませんでした。しかし、家族に引退を伝え『ご苦労さま』と言われときは、期待に応えられなかったとの思いがこみ上げ、電話口で泣いてしまいました」。

球団職員で球界復帰「選手の経験いかせる仕事」

 退団後、大手ホテルに入り、宴会場の営業を2年間担当。プライベートで訪れたホテルで、笑顔のサービスマンを見て「こんな人になれれば」と思ったのがきっかけだったそうです。その後、親会社が現在のDeNAに変わる前の横浜ベイスターズに誘われ、球団職員として球界に戻って来ました。
 若い選手が暮らす「青星(せいせい)寮」の副寮長などを務め、チーム付き広報になったのは4年前です。横浜スタジアムでナイター試合がある日は、正午頃に球場入り。「メディア向けの資料作りや取材対応をこなし、練習の手伝いもします」。
 今年は新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れるなど異例のシーズンになりました。「選手との接触が制限される記者に代わって、広報の私たちが選手に話を聞いて情報を伝えています」。
 現役時代とは立場は変わりましたが、「現役の頃の経験をいかせる、やりがいのある仕事です」ときっぱり。そして「今、自信を持って人と接することができるのは、サラリーマン時代があったからこそ。野球から離れた時間が私にとっての人生の転機でした」。

私とふるさと

 寝屋川市に生まれ、中学校を卒業するまで暮らしていました。お店が多く、私の中では都会というイメージです。
 市立中央小学校と第一中学校に通っていた頃は、書道や水泳の教室に行っていましたが、やっぱり「毎日が野球」という感じでした。
 小学校2年生のとき、友人に誘われて軟式野球の「京阪タイガース」に入り、中学生になって「寝屋川球友」で硬式野球を始めました。
 思い出はいっぱいあります。中でも6年生のときに参加した台湾遠征や少年野球のオールスターゲームで最優秀賞を取ったことは忘れられません。

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更新日:2021年07月01日