令和2年4月号 「アウトドアブームに火をつけた」株式会社ロゴスコーポレーション社長 柴田茂樹さん(63歳)

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ロゴスコーポレーションのロゴ看板の前でポーズをとっている柴田社長の写真
柔道の試合に出場し対戦相手と寄り合いをしている柴田さんの白黒写真

 キャンプ人気が再来しています。「実は30年前、最初のブームに火を付けたのはうちなんです」と自負する柴田茂樹さんは、カエデの葉のロゴマークとともに日本のアウトドアをけん引してきました。

「お前が戻れば会社は伸びる」人生変えた1本の電話

 ルーツは、祖父が昭和3年に大阪市内で創業した船舶用品問屋です。柴田さんが寝屋川市内の同志社香里中学校に通っていた頃にはゴムボートやヨットを扱っていました。
 「父親が社長でしたが、後を継ぐ気はなく、大学を卒業するとスポーツ用品の卸売会社に入りました」。
ところが26歳になった春、父親から1本の電話がかかってきました。「会社がつぶれそうや。年末までもたん」。造船不況などの影響で窮地に陥り、海洋レジャーに活路を求めていましたが、業績は回復しなかったのです。
 その年の8月、父親の会社に入社。「普通は在庫リストを持って営業に回りますが、どれだけ商品が残っているのか分かりませんでした」。すぐに商品を把握する営業管理部を設置。自ら仕入れも担当しました。
 「まあ“倉庫係”みたいなものです」と笑うが、出始めたパソコンで管理すると、売れ筋の商品が見えてきました。それはキャンプ用品。その一つが木製の折り畳みテーブルセットでした。

「父ちゃんかっこいい!」息子の言葉に生き残り確信

 「夏休みにこのテーブルを持って琵琶湖へキャンプに行ったときのこと。炭の火をおこしていると息子に『父ちゃんかっこいい』と言われました。この言葉を思い出し、キャンプ用品なら生き残れると思ったんです」。
 商標登録をしながら眠っていた「ロゴス」のブランドで、アウトドア用品を本格的に扱い始めました。目を付けたのは当時4万円以上もしていたテント。家族4人が国民宿舎に泊ったときと同じ約2万円という手ごろな価格のテントをホームセンターなどに売り込み、これが大ヒットしました。
 「日本人は働きすぎと言われた頃。余暇が見直された時代も後押ししてくれました」。会社は二ケタ成長を続け、平成に入って到来した第1次ブームの火付け役となったのです。

水辺5メートルから標高800メートル「家族が気軽に遊べる商品を」

 現在1500種類もの商品を送りだしている柴田さんは、「水辺5メートルから標高800メートルまで」というコンセプトを大切にしています。「深い海や高い山で使う用品は専門メーカーに任せたらいい。私たちが作っているのは家族が気軽に遊べて誰でも使える商品なのです」。
 ここ数年、再びブームを迎えています。キャンプスタイルも多様化し「これからはものづくりだけでなく、日本人のライフスタイルそのものを一緒に作っていける会社になれたらいい」。屋外と人とをつなぐ第一ブランドでありたいと願っています。

私とふるさと

 いとこが行っていたこともあって同志社香里中学校、高校に合わせて6年間通いました。当時は寝屋川市駅を過ぎると、のどかな田園風景が広がり、車内から学校の校舎も見えました。
 この頃“スポ根ドラマ”が大はやり。私は「柔道一直線」の影響を受け、中学校2年生のときに柔道部に。高校3年生のときには近畿大会に出ました。
 昭和50年に高校を卒業し、仲間と作った「香里50の会」や柔道部OBの会長を務め、今も時々学校に顔を出します。香里園駅を降りて学校が近くなると懐かしい“昔のにおい”がして、当時を思い出します。

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更新日:2021年07月01日