令和2年3月号 「留学で広がった音楽の世界」ピアニスト 河江優さん(50歳)
4年間の留学中にヨーロッパの各地を訪ね歩き、音楽の世界が広がったという同志社女子大学教授の河江優さん。ピアノを習う子どもたちにも「練習だけではダメ。友人とよく遊び、喜びや悲しみなど感情を豊かにすることも大切です」とアドバイスします。
「試験が2教科だったので…」高校1年生で芸大に進路変更
ピアノを始めたのは5歳のとき。「近所の教室でレッスン後にアメ玉などがもらえ、半分これを目当てに通っていました」。そんな優少年が市立第六中学校2年生のとき、コンクールの西日本大会で3位に。予想外の入賞に両親は「この子、ピアノで行けるかも」と色めき立ったそうです。
しかし本人は「飛び抜けてうまくもなかったし」と音楽系ではなく、大阪府立四條畷高校に進学。この選択が人生の転機になりました。
「入学したら周りのレベルが高くって。数学の授業なんて外国語でも聞いているようでした」と笑います。その一方でピアノはというと、毎日4~5時間みっちりと練習。月に1度は上京して個人レッスンを受けるなど着実に力を付けていました。
「何より(入試の)センター試験が2教科だけだったので」と進路を一般の大学から東京芸術大学に変更。器楽科に現役合格を果たしたのです。
ヨーロッパで触れた芸術文化「音楽表現に役立だった」
「多くの先生や演奏家と出会い、楽しかった」という7年間の芸大生活。プールで右手の小指を骨折して1年余分に通いましたが、「音楽の世界が広がったのは、むしろ大学院を出た後の留学時代でした」。
教会の宗教画にひかれ、「ピアノも勉強できれば」といった気持ちでヨーロッパへ。パリとジュネーブの音楽院で4年間学びながら各地の美術館にも出掛けました。
「留学というより遊学だったかな。絵画なら、それに込められた意味やストーリーを読み取るのが楽しくて。その想像力や閃(ひらめ)きは音楽と共通するところがあり、音楽表現ですごく役立ちました」。
ピアニストであり研究者「学生たちから活力もらう」
大阪教育大学や同志社女子大学で後進の指導に当たって20年。「学生と一緒にやってきたことが活力になっています」。その傍らで昨年10月に2年ぶりのリサイタルを開催。ショパン、リスト、ドビュッシー、ラヴェルと愛する作曲家は多岐にわたり、「研究の成果を聴いてもらうのが一番の目的。毎年できるといいのですが」と忙しい日々を過ごしています。
「地域貢献になれば」とジュニア大会などの審査員も務めてきました。その一つ、寝屋川市アルカスピアノコンクールが開かれたアルカスホールのスタインウェイ製フルコンサートグランドピアノを称賛。「2台そろっているのは珍しく、いろいろなピアニストを招き、多くの市民に聴いてもらえたらいい」と話します。
マイブームはサウナとフラメンコ舞踊。「スイスではびっしょり汗をかいてレマン湖に飛び込んでいました」と話し、今も気分転換にサウナを楽しんでいるそうです。
私とふるさと
名古屋市生まれ。父の転勤で3歳のときに美井元町の社宅に引っ越しました。
部屋にあったアップライトピアノで、兄と練習していました。当時は防音対策など施されていません。近所によく聞こえていたのでしょうね。
市立第五小学校に通っていた頃は、成田西公園の“はげ山”と呼んでいた場所でよく遊んでいました。4年生のときに国松町に転居し、市立国松緑丘小学校に変わったのですが、市立第六中学校でまた前の学校の友達と一緒になり、うれしかったのを覚えています。
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更新日:2021年07月01日