令和2年1月号 「夢かなえた相撲人生です」大相撲の元十両琴嵐 栗佳史さん(47歳)

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カウンターの横に立ち腕を組んでいる栗さんの写真
化粧まわしの衣装を着た栗さんの写真

 ”小さな大横綱”と呼ばれた千代の富士に憧れ、15歳で角界に飛び込んだ寝屋川市出身の栗佳史さん。力士の中でも一握りしかなれない関取の地位につき、引退後もちゃんこ鍋の店を開いて「相撲人生の続き」を歩んでいます。

「相撲取りになるんや!」ラグビーで鍛え入門

 相撲ファンの父親の影響で小学校のときに、将来は相撲取りと決めていました。体を大きくするためにと、相撲部がない市立第六中学校でラグビー部に入り、大柄な選手が多いフォワードを志願しました。
母親のつてを頼り、中学校1年生の春休みには元横綱琴桜の佐渡ケ嶽親方に会いました。「しっかりスポーツをやりなさい」。この言葉に「勉強そっちのけで頑張りました」。体重は20キログラム増えて86キログラムになり、卒業と同時に入門しました。
しかし、新弟子検査で身長の合格基準173センチメートル(当時)をクリアできるかが微妙で、髪をポマードで固めて臨みました。「(元横綱の)北の湖親方に『もっと伸びてみろ』と言われてドキドキしましたが、結果は合格でした」。
就職場所と言われる3月の大阪場所で初土俵を踏み、序ノ口の5月場所はしこ名を「琴栗」に。平成2年1月場所は序二段で7戦全勝を果たしました。しかし優勝決定戦で敗戦。「決定戦の相手よりはるかに強い(後の横綱の)武蔵丸から7勝目を挙げ、優勝の期待も大きかっただけに悔しい思いをしました」。

「大銀杏のまげ結い感激」幕下32場所でつかんだ十両

 この年最後の場所で幕下に昇進し、しこ名も改め「琴嵐」に。相手の懐に入り多彩な技で攻める相撲が身上でしたが、「ここ一番に弱く、何度も辞めようと思いましたが、父親に励まされて思い直しました」。
そして迎えた8年3月。地元の大阪場所で4勝3敗と勝ち越し、幕下32場所目でようやく十両昇格を決めました。「夢だった関取になれ、両親と抱き合って泣きました」。
大銀杏のまげは関取の証し。給料が支給され、個室も与えられます。「幕下と十両を境に一変するのが大相撲の世界。十両昇進が一番うれしかったと誰もが喜ぶ理由なんです」。
新十両の場所は勝ち越しましたが、次の場所で負け越し。「幕下に落ちると、糸が切れるように気力もなくなった」といい、9年3月に24歳で引退。54場所で206勝165敗23休の成績を残し、9年間の大相撲生活を終えました。

「相撲部屋は料理学校です」ちゃんこ番の腕生かし開業

 廃業後、”ちゃんこ番”で覚えた腕を生かし、鍋料理店を開業。「魚のさばき方など全て習い、相撲部屋はまさに料理学校です」。
大阪市内にある店内には現役時代の写真が飾られています。その1枚に収まる”花の六三組”と呼ばれる元横綱の貴乃花や曙。「一緒に初土俵を踏んだ同期生。6年前に店に来てくれたのが私の自慢です」。土俵を去っても、夢をかなえてくれた相撲人生は続いています。

私とふるさと

 大相撲の世界に飛び込むまで成田山不動尊の近くで暮らし、2歳違いの弟と一緒に市立第五小学校、第六中学校に通いました。
 小学校2年生のときに母と再婚した育ての父親は、私たち兄弟をかわいがってくれました。休みには、近所の友達も連れて毎週のように自転車で淀川の河川敷へ行き、相撲やキャッチボールで遊んでくれました。
 当時、ザ・ドリフターズ(音楽バンドのコントグループ)の大ファンだった私は、市民会館で行われた公演を見に家族と一緒に行ったことをよく覚えています。
今は大阪市内に住んでいて、寝屋川市内の実家には年に1度か2度は帰ってきます。

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更新日:2021年07月01日