令和元年10月号 「恐竜は永遠のアイドル!」恐竜模型作家 荒木一成さん(58歳)

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白い机上に赤色と青色の恐竜の模型が置いてある横で眼鏡をかけた荒木一成さんが立っており、後ろのガラスケースの上や中に沢山の恐竜模型がある写真
ブラキオサウルスの模型写真

 「バリバリの初代ウルトラマン世代」という荒木一成さん。怪獣が大好きだった少年が、日本を代表する恐竜の復元模型作家として活躍するきっかけは、中学生の時に手にした1冊の本でした。

「俊敏な恐竜にびっくり」漫画雑誌のグラビアで目覚める

 怪獣ブームに湧いた昭和40年代。
懸命に名前を覚えていた小学生の荒木少年は、漫画雑誌に載っていた巻頭グラビアの恐竜に「架空の怪獣と違って、かつて地球上にいた生き物の姿にびっくりしました」。
 その頃、恐竜といえば尾っぽのけがの痛みが脳に伝わるまで何十秒もかかる、のろまな動物として紹介されることが多かったようです。しかし、中学校3年生のときに読んだ「大恐竜時代」という本でさらに衝撃を受けます。「尾を上げて疾走する肉食恐竜が描かれていました。本当は活発に動き回る動物とわかり、それまでの認識がひっくり返りました」。
 プラモデル作りに熱中していた当時、恐竜模型もありましたが、高額でリアル感に欠けていました。「それでは」と、大阪市内の博物館に展示されていた骨格標本や取り寄せた学術書を参考に大型肉食恐竜「ティラノサウルス」を紙粘土で自作しました。

連載で自作模型が評判に博物館などから依頼続々

 医療系の短大を卒業。鍼灸師(しんきゅうし)として病院に勤めながら模型雑誌に投稿し、これが第2の転機となりました。「作品が編集者の目にとまり、自作の恐竜模型を毎月1体紹介する企画を任されました」。
 23歳のときに始まった連載は、16年間続く人気コーナーに。学術的な考証に基づく精巧な模型は評判となり、岡山や群馬の博物館から展示用の依頼が来るようになりました。
 福井県立恐竜博物館からも45体の依頼がありました。実物の10分の1の大きさで、全長は1メートル前後。
骨格図などを元に全身のスケッチを描き、発泡スチロールなどで作った芯に粘土で細かく肉付けします。作業は仕事が終わってから夜遅くまで続き、1年間で完成させました。
 「博物館とやり取りしながら制作しますが、姿形や皮膚の彩色はある程度任されています」。スケッチは化石発見のニュースなどで紹介されることもあり、「責任重大です」。
 福井県立大学恐竜学研究所准教授の柴田正輝さんは「骨格や筋肉の付き方など科学的な根拠に基づいており、価値が高い模型に仕上がっています」と評価。さらにエウヘロプスという首の長い恐竜の復元では「キリンっぽい色に仕上げてもらいました。遊び心もあり、私たち研究者が考えるよりも躍動的で魅力的な恐竜になっています」と信頼を寄せています。

「恐竜が仕事になるとは―」45歳で模型作りに専念

 荒木さんは21年間勤めた病院を45歳で辞めて独立しました。30年余りで作った恐竜模型は750体を超え、今では展示用にも貸し出しています。製菓会社の食玩も手掛け、夏休みは模型教室の講師として全国から引っ張りだこです。
 「恐竜の魅力は?」とよく聞かれるそうですが、ストレートに「やはり大きくて強いところ」。そして「もしティラノサウルスが動物園にいたら、キリンやゾウよりも人気者だと思いますよ。私にとって恐竜は永遠のアイドルです」

私とふるさと

 29歳で結婚するまで小路北町に住んでいました。実家は兼業農家。当時、梅が丘の方に田んぼがあり、山道を歩いて稲刈りに行っていました。
 四中(第四中学校)に通っていた頃、周辺に新しい団地が造成され、九州などから転校生がどんどん入ってきました。崖を崩している最中の造成地はまだ電柱や電線など人工物がなく、荒廃したような光景は恐竜模型の写真撮影には絶好の場所でした。
 実家には今、2か月に1度くらい掃除に帰っていますが、昨年の台風では屋根瓦が飛んで後片付けが大変でした。

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更新日:2021年07月01日