令和元年7月号 「野球の楽しさを伝えたい」元阪神タイガース投手 鶴直人さん(32歳)
3年前に阪神タイガースの投手から球団職員に転身した寝屋川市生まれの鶴直人さん(32)は、この日も西宮市内の甲子園浜球場で汗を流していました。今の肩書は事業本部振興部の球団職員。昨年春に開校した「タイガースアカデミー」ベースボールスクールのコーチとして子どもたちを指導し、「私もあの子たちと同じ頃に野球を始めたんですよ」と自身の少年時代を思い出していました。
「野球選手になるんや!」テレビ中継で知ったプロの世界
野球との出会いは3歳の頃。「軟式野球をしていた兄の練習試合について行っているうちに好きなり、巨人ファンの父親とテレビ中継を見ていて野球選手になるんやと思いました」。小学校6年生で念願の投手に。この頃すでに「野球はタイミングのスポーツ。スピードより質を考えていた」というから驚きです。
本格派の右腕投手として頭角を現したのは近畿大学附属高校時代です。「レベルは高かったが、1年生でレギュラーを取ってやるという思いでした」
母親のみゆきさんも「精神的に強い子で、弱気の言葉を聞いたことがありません」と話すように、細身の体から投げる140キロメートルを超える速球を武器に1年生の夏からベンチ入り。履正社高校の岡田貴弘選手(現オリックス=T―岡田)らと並ぶ「浪速の四天王」の一人として騒がれ、平成17年のドラフト会議で阪神から高校生の1巡目に指名されました。
苦難の末つかんだプロ初勝利で藤川投手からウイニングボール
しかし3年生最後の夏を前に右ひじを故障。不安を抱えて入ったプロの世界は苦難の連続でした。「痛み止めを打ち、だましだましでした。2年間一軍登板がなく、本当にしんどかった」。常に前向きだった鶴さんも「致命傷になるかも」と思ったそうです。
プロ初勝利は5年目の日本ハム戦。「ダルビッシュ投手(現米大リーグ・カブス)に投げ勝ち、このときばかりは素直にうれしかった」
ウイニングボールは憧れの藤川球児投手からもらいました。「野球に対する考え方や勝負師としての心構えを学びました」といい、「具体的には?」と尋ねると、笑いながら「それは秘密です」
甲子園マウンドで現役引退「今後は野球振興で盛り上げたい」
その後も勝利を重ねましたが、3年前の秋に戦力外に。現役続行を希望して参加した12球団合同の入団テスト(トライアウト)が最後のマウンドでした。「会場の甲子園に両親や多くのファンが駆けつけてくれました。ホームで終えることができて悔いはありませんでした」
通算成績は9勝8敗。「成績は物足りませんでしたが、けがをしながらどうパフォーマンスを発揮したらいいかにこだわり続け、人として成長できた11年間でした」
今は球団事務所でデスクワークをこなし、午後はグラウンドへ。「子どもたちに教えるのは難しい。でも私がそうだったように野球の楽しさや喜びを知ってもらい、球界を盛り上げていければうれしい」と話します。
私とふるさと
両親が京阪沿線の会社に勤めていたため、7年間ほど、木田町と日之出町に住んでいました。私も3歳になるまでいましたが、どんな街だったか記憶がはっきりしません。
でも近くの公園で兄とよく遊んでいたのは覚えています。自宅は一軒家だったのかな。真っ直ぐな道の突当りが公園でした。母親によれば、初本町公園だったということです。スイミングスクールにも通い、小さい頃から普通に泳いでいました。
祖父母も当時から寝屋川市に住んでおり、私が貝塚市に引っ越した後も時々遊びに来ていました。
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更新日:2021年07月01日