令和元年5月号 「輪ゴムのトップメーカー、株式会社 共和社長」杉原正博さん(57 歳)

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茶色と黄色のデザインのオーバンドパッケージを持って笑顔で写っている杉原正博さんの写真

 輪ゴムを作り続けて100年。茶色と黄色のデザインでおなじみのパッケージを手に、寝屋川市生まれの杉原正博さんは「どの商品も派手ではありませんが、いつも暮らしの中にあります」と笑顔で話します。

 会社設立は大正12年ですが、国内初の輪ゴムができたのは、もう少し前のことです。もともと自転車のゴムチューブを輪切りにした、真っ黒で硬い輪ゴムが主流でした。しかし、創業者が大正6年に世界で初めて今のようなアメ色の輪ゴムの開発に成功し、大ヒット。これが現在の輪ゴムの礎になっています。

「背高いし、声大きいから合格や」偶然の出会いで就職

 割り箸の鉄砲で輪ゴムを飛ばして遊んだ人も多いことでしょう。そんな話題に「ゴム銃のちゃんとした団体があってね。その団体の公式競技で、うちの輪ゴムが”競技推奨弾”なんですよ」。日本ゴム銃射撃協会の公認は長年築き上げた信頼の証しなのです。

 「入社はたまたまでした」。本命だった会社の最終面接に落ち、困って就職課を訪れた天理大学4年生の秋のこと。「その日に偶然、大学OBで共和の次長が、『学生を一人欲しい』と頼みに来ていました。すぐ面接し、『背も高いし、声も大きいから合格や』となったんです」

「サラリーマン人生で一番大変」海外工場で労働組合と対立

 翌年の昭和60年に入社。父親には「一度入ったら最後までおらんとあかん」と言われたそうですが、「辞めようと思ったことは一度もありません」。しかし、入社24年目で赴任したマレーシアの子会社で「サラリーマン人生で一番大変だった」という大きな壁にぶつかりました。

 従業員210人の工場で、日本人は杉原さんただ一人。言葉の壁もありましたが、仕事への考え方が日本と全く違いました。例えば昇給。「仕事ぶりに関係なく、給料は上がってもみんな同じ額。能力に見合った給料にと何度も労働組合と交渉しましたが、分かってもらえず、本当に参りました」。それでも7年間の駐在を終えて帰国する際に組合幹部の一人が「ミスター・スギハラが正しかったよ」と言って送ってくれました。

「いつも頭は低く」お客様第一でモノづくり

 輪ゴムの国内シェアでは今も約50パーセントを誇りますが、被覆電線や医療用品など創意工夫で成長を続けています。杉原さんは、海外での活躍も買われて2年前、会社のトップに就任しました。「若い頃は社長を雲の上の人と思っていた」という杉原さんの経営理念の一つが”いつも頭は低く”。「お客さんや下請けさんあってのメーカー。横柄な態度やふるまいは絶対にあかん、と言い続けています」。

 4年後は創業100年の大きな節目。老舗メーカーの社長は次の新しい時代を迎えてもモットーの”お客様第一主義”で突き進むつもりです。

私とふるさと

 寝屋川市出身なんですが、実は全然覚えていないんです。生まれて1年ほどで母親の故郷の鳥取に引っ越したからです。3歳で神戸に移り住み、記憶にあるのはこの頃からです。

 でも、母親がよく寝屋川時代の”ママ友”に会いに香里園に行っていたので、この近くに新居を構えていたのだと思います。父親は2階建ての文化ハウスだったと言っていました。

 そこで私は”カタカタ”という木製のおもちゃやビニールのプールで遊んでいたようで、そんな白黒の写真を見たことがあります。

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更新日:2021年07月01日