仁和寺荘の古跡

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寝屋川市の文化財

仁和寺庄の古跡(にわじしょうのこせき)・仁和寺氏神社(にわじうじじんじゃ)

黄色に桜模様が入った鉢を被ったマスコットキャラクターはちかづきちゃんがバラの花を持って桜の花びらの上に立っているイラスト

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寝屋川市のマスコットキャラクター
はちかづきちゃん

仁和寺は古くは「にわいじ」とよんだこともあったようです。地名は京都仁和寺(にんなじ)の所領であったことに由来すると考えられます。

鎌倉時代初期に後鳥羽・後高倉院の生母であった七条院が京都仁和寺殿を管領(寺務を司る権利を所有)したことによって、仁和寺庄も七条院領となり、のち地頭職は室町院(暉子内親王)へ寄進され、持明院統の所領になりました。

この時の『室町院御領目録』を見ると、仁和寺庄は上仁和寺庄・下仁和寺庄の二つに分かれており、以後上下ニ庄として史料にあらわれます。

南北朝時代に入って、持明院統の花園上皇は暦応5年(1342年)に妙心寺を再興したとき、上仁和寺庄と下仁和寺庄の地頭職を妙心寺に寄進しました。しかし、応永6年(1399年)大内義弘が将軍足利義満に謀反(むほん)を起こし(応永の乱)、敗死した大内義弘と妙心寺の拙堂(せつどう)が親しかったために妙心寺領は室町幕府に没収され、事実上の幕府御料所となり、いわゆる「河内十七カ所」の一部となっていきました。

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更新日:2021年07月01日