木屋(こや)の竜神さま

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木造建築の鞆呂岐(ともろぎ)神社の写真

「この池もだんだんと狭くなってきた。困ったことだ」竜神さんはあたりを見まわしながら、ひとりつぶやくようになりました。
この池はもとはたいへん大きな広い池でした。お宮さまのすぐ裏から赤井堤防(あかいていぼう)までつづいていて、西は淀川の堤まで、そして東はずっと村のはずれまで広がっていました。
池のまわりには丈の高い葦(あし)が一面に生い茂り、岸辺には柳が連なっていて、遠くから見ると森のように見えました。
芦原にはいつも鳥がさえずり、秋になるとたくさんの渡り鳥が北からわたってきました。また、池にはいろんな魚がたくさん泳いでいました。ほんとうに住みよい池でした。
「こんなに住みよい池は、またとあるまい」竜神さまはいつも思っていました。
そして平和な長い歳月が流れました。

ところが、この頃になってすこし不自由をおぼえるようになりました。
あたりに人家がふえてきました。
田んぼがひらけてきました。
池はすこしづつ埋められて、葦原がいつのまにか稲穂の垂(た)れる田んぼにかわっていきます。
魚や鳥をとる人もふえてきました。
池も小さくなりました。
竜神さまはだんだんと食べ物に不自由するようになってきました。それにすみかが小さくなっていくことはつらいことでした。
やがて飢(ひも)じい日が続くようになりました。

竜神さまはとうとう我慢(がまん)することができなくなりました。それで池のそばの実っている稲穂をすこしばかり頂戴(ちょうだい)しようと思いました。一生懸命働いて稲を育てているお百姓さんには申し訳ないと思いました。
すると翌日たくさんのお百姓さんが集まってきて、わいわいと騒ぎはじめました。そして、「困ったことだ、困ったことだ」と悲しそうな声をだして、なげきあっています。
その声を竜神さまは身の縮む思いで聞いていました。
それで次からは、すこし離れた郡(こおり)のあたりの稲を頂戴することにしました。すると、郡のお百姓さんたちが大勢で木屋へ押しかけてきました。
仕方がないので、今度は山一つ越えた交野の方へ足をのばしました。ここで稲をすこしぐらい頂戴しても、遠くはなれているので木屋の人々に迷惑のかかることはあるまい、と思ったのですが、案外早く知れてしまって数日もたたないうちに交野の人々が押し寄せてきました。
竜神さまは空腹と申し訳なさとで途方に暮れてしまいました。
村人たちもほとほと困りはてて、相談をはじめました。

岩の上に「史跡茨田蛇の池跡」としるされた石碑が建てられている写真


そんなある日のことでした。
めずらしく竜神さまは朝早くから目がさめました。泳いで池を一まわりすると、岸に小さな棒に御幣(ごへい)を結びつけた桟俵(さんだわら…米俵の両端にあてる丸いわら製のふた。「さんだらぼうし、さんだらぼっち」ともいう)が置いてありました。
不思議に思って近づいてよく見ると、その上に「こもまき御飯」が載(の)せてありました。
「こもまき御飯」というのは、御飯をこもで巻いたもので粽(ちまき)のようなものです。
おいしい香りがただよってきます。
ちょうどお腹(なか)の空(す)いている時です。
竜神さまはそれを取り上げると、一口にぱくっと食べました。
こもの香りが御飯に移って、とてもおいしいでした。
たった一本でしたが、それを食べるとすぐ満腹になりました。
交野の山の奥の田へ稲を頂戴に出かけようと思っていたのが、急におっくうになってきました。
竜神さまは池の底で横になると、今日はのんびりと寝て暮らそうと思いました。

翌日になりました。
ところがお腹はすこしも空きません。
三日たっても、十日たっても満腹です。いっこうにお腹が空きません。
竜神さまはいつのまにか稲を食べに行くことを忘れてしまいました。
そして半年が過ぎました。
お宮さまの春祭りの日が近づいてきました。すると、急にお腹が空いてきました。何か食べたくなりました。

4月16日になりました。
お宮は賑(にぎ)わっています。けれど竜神さまはお腹を空かせて池の底でその賑わいを聞いていました。そして、明日はまた交野の方へ食べ物を探しにゆこうと考えながら、眠りにつきました。
ところが翌朝目がさめると、池の岸に御幣を飾りつけた桟俵が置いてありました。「こもまき御飯」が載せてありました。
竜神さまは大喜びで食べました。
すると、すぐ満腹になりました。
眠くなってきました。
心の底からのんびりとしてきました。
そして、そのまま秋祭りまで空腹を知らず暮らすことができました。
稲は順調に育っていきます。
稲田は竜神さまに食べられることもなく、何年も何年も豊作がつづきました。日照りが続いて一雨欲しい時は、お百姓さんたちが池のそばに集まってお願いすると、竜神さまはすぐに雨を降らせてくれました。
「豊年が続くのも竜神さまのおかげだ」村人たちは心から喜んでお宮の奥にお社(やしろ)を建ててお祀りすることにしました。そしてお宮のお祭りがすんだ翌日に「こもまき御飯」を供えて竜神さまに食べていただくことにしました。

その竜神さまの池も今ではすっかり田んぼになってしまって、あとかたもありません。わずかに最近まで残っていた名残りの小さな池も今は埋められています。
木屋の鞆呂岐(ともろぎ)神社の奥院に「史跡・茨田蛇の池あと」としるされた石碑が建てられています。そして側面には、竜神さまを崇敬(すうけい)する四百六十数人の浄財で神域を整備しこの碑を建てたと刻まれています。
こうして木屋の竜神さまは今も村人の心の中に脈々として活(い)きつづけているのです。

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更新日:2021年07月01日