狐のはなし(相場師と狐)

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村上甚冶郎氏の座談より

河川敷の公園の写真

150年ほど昔のお話です。
茂平さんは朝早く淀川の堤に立ちました。
ちょうど下りの三十石舟がたくさんの人を乗せて舟着場に着いたところでした。
太間の舟着場はそんなに大きくはありません。いつも荷物を積んだ舟が着くだけなのですが、乗り降りする人がある時は乗合舟が着くのです。
船着場の下流は竹薮になっています。淀川の本流が突き当たる所だけにいつの頃からか洪水に強い竹が植えられるようになったのです。
舟から誰か降りたようです。
ですがそれは見かけぬ人でした。
上等の着物を着ています。
町のお金持ちだなと、茂平さんは思いました。
その人は堤を上がってくると茂平さんに、「この辺に狐を捕る人はいないかい。」といいました。
思いもよらない話しかけに茂平さんが返事をとまどっていると、「この辺には狐がたくさんいると聞いてきたんだが、一頭ぜひ欲しいんだ。」といいました。
目の鋭い人でした。
狐の肉はそんなにおいしくはありません。それにお稲荷さんのおつかいでもあるのです。捕らえて売るなんて嫌なことです。この人はもしかすると殺すかもしれません。
茂平さんが黙っていると、その人はまたしても「狐を捕る人を知らないかい。」といいました。あまり何度もいうので茂平さんもつい「なんなら捕ってあげてもいいですよ。」といってしまいました。
竹薮の中にはたしかに狐がすんでいます。つい先日も竹を切りに行ったとき見ています。
「それはありがたい。代金はうんとはずむよ。」
そういって茂平さんが詳しい話もしないのにその人は財布からお金をとりだすと、 「手付けだよ。」といって、たくさんのお金を茂平さんに握らせました。そして、「あさっての朝にまた来るから頼むよ。」といって、はやばやと次の舟で帰っていきました。
あとになって茂平さんは引き受けはしたものの、ちょっと嫌だなあと思いました。
茂平さんは夕方になると、竹薮の向こう側に長い網を張りました。
そして真中に一か所穴をあけ、その奥に袋の網をとりつけました。
日がとっぷり暮れてから茂平さんは松明(たいまつ)に火をつけて竹薮に入りました。そして左右に走りまわりながら大きな声をだしました。
その声に飛び出したものがありました。
狐でした。
狐はすばやく奥へ駈けていきます。
茂平さんは遅れないように追っかけました。
狐は逃げていきます。そしてとうとう網に突き当たりました。
狐はどぎまぎして網に沿って駈けました。そしてさそいこまれるように穴の中に飛び込んでいきました。
あくる日朝早く、かの人は下男に大きな風呂敷包みを背負わせてやってきました。そして茂平さんがさげている狐を見ると「おお、捕ってくれたね、ありがとう。まにあってよかった。」と顔いっぱいに笑みを浮かべていいました。そして縛られている狐を見ると
「かわいそうに。」といって下男が背負ってきた木箱に縄をほどいて入れました。
箱の中にはほどよく乾いた干草がいっぱい敷つめてありました。
「いいものをあげるよ。」
そういって、おいしそうな赤飯とあぶらあげを皿に盛って箱の中に入れました。
この人は狐を殺しはすまい。
茂平さんはほっと胸をなでおろしました。
それから五日目の夕方でした。
茂平さんが竹薮のそばを歩いていると、ちらっと前を横切るけものがありました。
あっ、あの狐だ、「いったい、どうなっているんだろう。」
茂平さんはわけがわからないままに、狐が生きて帰ってきてくれたことに安堵の胸をなでおろしました。

その人はお米の相場師だったのです。
狐に赤飯とあぶらあげをご馳走して逃がしてやれば、お金がものすごく儲かるという話を聞いて狐を買いに来たのでした。
はたして儲けたか損をしたか。それはわかりません。
ただ二度と狐を買いに来なかったことだけは事実だったそうです。

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更新日:2021年07月01日