牛九ものがたり

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川沿いに咲く満開の桜の写真

九郎はよく働きました。
朝早くから夜おそくまで、せっせと働きました。
わずかばかりの田んぼはよく稔りましたが、暮らしはいっこうに良くなりませんでした。
苗代(なわしろ)つくりの日も近づいてきたので、九郎は地主さんの家へ牛を借りにいきましたが、あいにく先客があって牛を借りていたので、借りることができませんでした。
そこで九郎は、牛の代わりに鋤(すき)を引いてみようと思いました。けれども土地は固くて、いくら力をこめて引いても、鋤は動きません。困りはてているところを、村人に見られてしまいました。
たちまち、うわさはうわさをよんで、話が大きく村中に広がってしまいました。
九郎は牛より力持ちだ、ということになって、誰いうとなく牛九とよぶようになりました。

それにまた、こんなこともありました。
地主のだんなさんに頼まれて、お米を隣り村の庄屋さんへ届けることになりました。お米は五斗(ごと)入りの俵(たわら)が二俵(にひょう)です。一俵で60キロ以上もあります。地主さんの荷車で運ぼうとしましたが、折から出払っていて使うことができません。そこで牛九は、ええいままよ、とばかり左右に一俵ずつ引っ提げて出かけました。
さすがに重いです。腕がしびれてきます。牛九は村の出はずれのお地蔵さんの所で腰をおろしたりなどしながら、とうとう一粁(キロメートル)ばかり離れた隣り村の庄屋さんの家まで、米俵を運びました。
牛九はものすごい力持ちだ、といううわさが近在に知れわたりました。

それはある年のことでした。
四国の阿波の蜂須賀(はちすか)の殿様が、参勤交代で江戸へおのぼりになりました。
大坂まで船でおいでになり、大坂からは川舟に乗り替えて、伏見に向かわれました。
舟は三十石舟よりも大きな御座船(ござぶね)で、大坂の八軒屋浜(はちけんやはま・今の天満橋のあたり)を出ると、帆(ほ)をあげ、竿(さお)をさし、櫓(ろ)をこいで川を逆上(さかのぼ)りました。浅瀬の所や流れの早い所では、岸から長い綱で引っ張って、逆上りました。たくさんの綱引人夫は助郷(すけごう)といって、岸辺の村々から、かり出された人たちでした。
ようやく點野(しめの)浜まで逆上って来た時、御座船が水路を誤って浅瀬に乗り上げてしまいました。
いくら船頭や綱引人夫を励(はげ)ましても、船は動きません。はては武士たちまでが裸になって川にとびこみ、綱引人夫と掛声を合わせて押しましたが、船はびくともいたしません。
日はだんだん落ちてきます。
日が暮れないうちに、どうあっても本陣宿(ほんじんやど)に着かなければなりません。
いろいろ手立てを変えて、押したり引いたりして、何とか浅瀬を乗り切ろうとしましたが、船は動きません。
その時、綱引人夫の一人がいいました。
「點野村には牛九がいる。来てもらおうじゃないか。」
早速、牛九の家を知っている人夫が駆けだしました。
牛九はすぐにやってきました。
そして裸になると、ずかずかと川の中に入り、肩を船にあてがいました。それを待ちかねていたように、みんなが力いっぱい、船を押し綱を引きました。
すると、それまで動かなかった船が、じりじりと動きはじめました。
牛九は顔を真赤にして押しています。
それを殿様は、ご覧になりました。
もりもりと盛りあがった腕・肩・胸の筋肉、そのたくましい身体、実直そうな顔。殿様は牛九が好きになりました。
「牛九よ。江戸へ来ないか。おまえほどの力があれば、立派な角力(すもう)取りになれるぞ。召抱えてやるから。」
殿様から声をかけられて、川の中の牛九は、びっくりしてしまいました。貧しい百姓にとって、それは思いもよらない出来事でした。
牛九は一人身で、親きょうだいもありませんし、お嫁さんもありません。
とまどっていると、庄屋さんが、
「それは、ありがたいことだ。江戸へ行って、がんばって立派な関取になってこい。」
と励ましてくれました。

牛九は殿様に従(したが)って江戸へ出て、立派な関取になったということです。

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更新日:2021年07月01日