太秦廃寺跡
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寝屋川市の歴史
寝屋川市の文化財
太秦廃寺跡(うずまさはいじあと) 太秦中町
熱田神社境内からは、昔から古瓦が出土し、礎石(そせき)に使用されたとみられる巨石が多く認められ、付近一帯が古代の寺院跡であることが知られており、太秦廃寺跡とよばれています。
出土した重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)・唐草文軒平瓦(からくさもんのきひらがわら)は、奈良時代後期から平安時代前期に属するものです。
太秦廃寺跡の実体については不明な点が多くありますが、『広隆寺(こうりゅうじ)末寺別院記』に記載されている「河内秦寺」にあてる説もあります。
秦(はだ)・太秦(うずまさ)の地は、市域でも早くから人々が足跡を残した地域の一つであり、約1800年前の弥生時代には、丘の上に全国的にも有名な高地性集落が営まれていました。その後形成された古墳群(太秦古墳群)は、わが国の古代史に多大な影響を及ぼした秦氏(はたし)の人々の墓と考えられています。
昭和37年(1962年)には神社東の山の土取り工事中に全国でも珍しい牝鹿の埴輪(頭部)が出土しました。
更新日:2021年07月01日