大阪仏舎利塔
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寝屋川市の歴史
寝屋川市の文化財
大阪仏舎利塔(おおさかぶっしゃりとう) 成田東が丘
舎利とは仏の火葬の骨のことで、釈迦の遺骨です。釈迦の教えを信仰していたインドの10人の王が、その遺骨を分かち合い、それをまつるために塔を建てたのが仏舎利塔のはじまりといわれています。
大阪仏舎利塔の建立は、川嶋貞子(明治22年〈1889年〉生まれ)が亡夫勘三郎の遺志をついで発願しました。昭和32年(1957年)1月、ネパールで開催された世界仏教会議に出席した貞子は、仏跡を巡礼した後、インドのネール首相官邸を訪れて、直接首相に建立を嘆願しました。この願いに大いに賛同した首相は直接、貞子に仏舎利を呈上されました。
帰国後、貞子は私有地約10,000坪(33,000平方メートル)を開放して塔の建立に尽力し、昭和38年(1963年)10月に大阪仏舎利塔が完成。この聖地は百丈山合掌苑(ひゃくじょうざんがっしょうえん)と命名されました。
川嶋 貞子(かわしま さだこ)
元女学校の教諭。戦後の日本の復興は婦人の力に負うところが大きいという信念のもと、大阪の婦人活動の基礎を築いた人です。
慈悲の心が厚く、巨額の私財を投じて青少年や一般府民の社会教育活動のために貢献しました。昭和39年(1964年)10月に、社会福祉法人百丈山合掌会(老人ホーム)を設立し、理事をつとめました。
社会や経済の発展に貢献した功績は顕著で、従六位勲六等をはじめ、数々の表彰を受けました。
更新日:2021年07月01日