茶もみ名人
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茶もみ名人
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はちかづきちゃん
市内の丘陵地では明治以前からお茶が栽培され、明治の初期には茨田(まった)・讃良(さら)・交野の各郡の人々によって河内茶業組合が結成されるほど盛んになりました。
産出量も多く質も高いため、製茶の最盛期には山城・大和・丹波から集まってくる仲買人が三井村だけでも100人余りいたということです。職人は河内の茶を終えてから宇治へ出稼ぎに行くのが常でした。
明治33年の旧水本村の販売量は、煎茶270貫・番茶300貫で、価格は846円。米価格1石11円の相場からみてもかなりの収入だったことがわかります。
多くの職人のなかで名人中の名人といわれた人が三井村の馬場嘉平です。彼のもんだ茶は、一晩戸外に出して夜露にさらしても翌日それで障子を突き刺すことができたといわれ、彼の弟子は全国に2000人を数えたということです。
人柄もよくいくつもの感謝状をもらった嘉平の功労碑が三井本厳寺(美井元町)のお霊屋の墓地にあります。
更新日:2021年07月01日