仁和寺の渡し
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寝屋川市の歴史
寝屋川市の文化財
仁和寺(にわじ)の渡し
淀川には両岸を結ぶ交通手段として、「渡し」が古くから各所にありましたが、大正期の枚方大橋、昭和初期の鳥飼大橋の架橋で次々に姿を消していきました。一番最後まで残っていたのが「仁和寺の渡し」でしたが、今ではその姿も見ることはできません。
かつて渡しは営業用で、人や馬や牛を渡すのに「渡し銭」が必要でした。最後まで残っていた「仁和寺の渡し」は、大阪府の管轄になってからは無料になり、「とりかい一号」「とりかい二号」の2隻が活躍したということです。
「仁和寺の渡し」には、慶長19年(1614年)大阪冬の陣を前に、片桐且元(かたぎりかつもと)が居城の摂津国茨木城に帰る道筋にあてたという話も残っています。
更新日:2021年07月01日