文禄堤・京街道(ぶんろくづつみ・きょうかいどう)
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豊臣秀吉は天正11年(1583年)に大坂城を、文禄3年(1594年)に伏見桃山城を築きましたが、その二つの城の連絡のために淀川堤防を利用するのが得策だと考えました。そこで秀吉は、諸大名(毛利輝元・小早川隆景など)に命じて淀川堤防左岸を拡幅・補強し、直線にしました。それ以来、淀川堤は文禄堤といわれていますが、京と大坂を結ぶので「京街道」の名が一般に知られています。
市内では太間の高い堤を下りて、人家の裏の道路を越えたあたりに残っています。道幅1メートル余り、長さ50メートルにわたって昔の姿をとどめています。今の太間地区の堤に沿っている家々は、後ろ(川側)に高い堤を背負っているようですが、これは文禄提以後、何度も堤が改修されたためで、だんだんかさ上げされたようすがわかります。
更新日:2021年07月01日