高柳遺跡

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高柳遺跡

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高柳遺跡は、高柳二丁目の府営高柳住宅の建て替え工事に伴う発掘調査で発見された遺跡です。平成2~3年(1990~1991年)に発掘調査が行われ、現地表面下1.2メートルで平安時代前期~中期(9世紀後半~10世紀)の集落跡が発見されました。

遺跡からは、多数の柱穴、井戸、土器を大量に捨てた跡、地鎮祭(じちんさい)と考えられる祭りをした跡などが見つかりました。建物の柱穴には直径90センチメートル、深さ90センチメートルの大型のものがあり、直径20センチメートルの柱が残っているものがありました。

建物に接して大量の土器を捨てた場所が見つかり、素焼きの土器(土師器=はじき)、内側に炭素を吸着させて黒く仕上げた土器(黒色土器)のほかに高級品の緑釉陶器(りょくゆうとうき)・灰釉陶器(かいゆうとうき)といった釉薬を塗って焼き上げた土器も含まれていました。

緑釉陶器は、平安時代に中国から輸入されるようになった青磁のような焼物です。平安京の周辺(京都洛北窯・洛西窯・亀岡篠窯)・滋賀県日野町・水口町周辺、愛知県名古屋市東部付近及び岐阜県、山口県の窯跡で焼かれ、高級品であったため平安京の皇族や貴族の邸宅での出土が多く、平安京以外では寺院や役所等の特別な遺跡での出土が知られ、普通のムラとみられる遺跡から出土することは極めてまれです。

灰釉陶器は愛知県・岐阜県の窯跡で焼かれたもので、平安京を経由してこの地にもたらされたと考えられます。このほか、高級品として中国製の白磁碗が出土しています。
また、地鎮祭を行ったと考えられる遺構では、須恵器の小壺4個と土師器の皿8枚がかたまって見つかりました。置かれた状態を復元すると、皿8枚を中心に重ね、その外側の東西南北に小壺を立てたと考えられます。西側に置かれた壺の中には銭貨が入れられていました。この他、馬の轡(くつわ)、役人が着ける石製の帯飾りが出土しています。

以上の調査結果をまとめると、高柳遺跡にはかなりの有力者が住んでいたと考えられます。また、石製の帯飾りが出土していることから当時のこの地域の役所であった茨田郡の郡衙(ぐんが=役所)に勤めていた役人がいたことも推測されます。
平成9~10年(1997 ~1998年) に行われた府道建設に伴う調査では、平安時代の遺跡のほかに弥生時代後期の竪穴住居跡や、古墳時代の溝などが見つかり、遺跡が古い時期から居住地として利用されていたことがわかりました。

遺跡の北側に所在する長栄寺付近からは古瓦や蔵骨器が出土しており、高柳廃寺跡と推測されています。この高柳廃寺を茨田寺とする考えがあり、この説に従うと、付近に茨田郡の郡衙が所在する可能性があります。高柳廃寺跡については不明な点が多く、今後の調査による解明が期待されます。

また、高柳遺跡の東南0.5キロメートルの上神田一丁目には、西南地区公民館建設に伴って発掘調査の行われた神田東後(かみだひがしご)遺跡があります。多数の柱穴・溝が見つかっており、出土した土器から高柳遺跡と同じ平安時代中頃の集落跡であることがわかりました。

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更新日:2021年07月01日