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長保寺遺跡(ちょうぼじいせき)

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長保寺遺跡(ちょうぼじいせき)

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昭栄町~出雲町に広がる縄文時代~室町時代の複合遺跡です。
昭和63年~平成2年(1988~1990)の府道国守黒原線の建設に伴う発掘調査で、この地に遺跡が眠っていることがわかりました。その後、さらに工場や共同住宅の建設のため発掘調査が行われ、遺跡の内容が少しずつ明らかになってきました。

縄文時代~弥生時代は遺物が出土しているにとどまり、遺跡のようすはよくわかりませんでしたが、籾(もみ)の痕(あと)がついた縄文時代の終わりごろの土器は近畿地方最古の稲作関連資料として注目されています。ムラのようすが明らかになるのは、古墳時代中ごろ(5世紀)以降です。

遺跡の中央部には、幅30メートルを超える自然河川が南北方向に流れており、遺跡全体で竪穴住居(たてあなじゅうきょ)・柱穴(はしらあな)・井戸・溝などの遺構が見つかっています。遺跡の性格を考えるうえで重要な発見は、井戸枠に再利用されていた3隻(せき)分の古代船の船体です。

「韓式系土器(かんしきけいどき)」とよばれる朝鮮半島との関連が考えられる土器も多数出土しており、遺跡が港として機能していたことが推測されます。

古墳時代のムラが消滅後、再び遺構や遺物が見つかるのが、奈良時代(8世紀)です。この時代には、多数の柱穴が見つかっており、数多くの建物があったことが推察されます。平安時代(9~10世紀)にも引きつづきムラが営まれます。出土した花の文様を施した緑釉陶器(りょくゆうとうき)の優品は、有力者が住んでいたこともうかがわせる資料です。

平安時代後期(11世紀)~南北朝時代(14世紀)には、遺跡内の各地点で遺構や遺物が見つかっており、ムラの規模が大きくなるようです。遺跡の西側の調査地では、堀に囲まれた屋敷跡が見つかっており、ここに武士等の有力者が住んでいたと推察されます。屋敷地を囲む堀は14世紀に埋められており、鎌倉時代の終わりから南北朝時代の戦乱に巻き込まれたと考えられます。

以上のように、長保寺遺跡は長期にわたって様々な特色のある遺構や遺物が出土しており、市の歴史を考えるうえで重要な遺跡です。

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更新日:2013年11月29日