やさしいお地蔵さま

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鳥居の奥に社殿が映っている太間天満宮の写真

治作は、貧乏でした。それに身寄りもありません。毎日、村の親方に雇(やと)われて暮らしていました。
「いつになったら、おれもお嫁さんがもらえるのかなあ」
治作はお祭の夜など、小さな子どもの手をひいてお詣りにくる若い夫婦を見るたびに、羨(うらや)ましく思うのでした。
それは春の日のことでした。広い田んぼは黄色い菜種の花におおわれ、蝶がその間をとびまわっています。その中で治作は夕方おそくまで仕事に追われていました。それで疲れて帰ってくると、水で身体をふき、冷たい雑炊(ぞうすい)をすすると、ごろりとむしろの上に横になりました。とてもいい気持でした。お酒に酔った時のように身体中がほてってきて、深い深い眠りに落ち込んでいきました。

向こうから誰かが歩いてきます。
おぼろ月夜なのではっきりとは見えませんが、その人影は女のようでした。
淀川の堤は涼しい風が吹いて爽(さわ)やかで、何ともいえないよい気持です。
だんだん人影は近づいてきました。少女です。しとやかに歩いてきます。何ともいえないようなよい匂いがただよってきます。
「いい娘だなあ」と治作は思いました。
行きちがう時、その娘はきゅうに、よろけました。そして、そこへしゃがみこんでしまいました。
治作はびっくりしました。思わず立ち止まりました。
娘は痛そうに足首を押さえています。片一方の下駄(げた)が散らかっています。
鼻緒(はなお)が切れたのでしょう。娘は立ち上がろうとしますが立てません。
治作はこのまま見捨てて行き過ぎることは出来ませんでした。それに夜も更けています。
「家はどこ?」
治作がたずねると、はずかしそうに、「太間(たいま)です」と答えました。
太間とは治作が住んでいる村なのです。
治作は娘の顔をのぞきこみましたが、それは見なれない顔でした。見かねて、「おぶってあげよう」といって、治作はしゃがみこんで背を向けました。娘は「すいません」と、消えいるような声でいうと、おずおずと、治作の背に負ぶさってきました。
柔らかい肌の感触。匂ってくる甘い香り。治作はいい気持になりました。胸の動悸がはずんできました。
人通りはありません。治作は夢見る心地でした。
鼻緒の切れた下駄を、背負った指にからませて歩きはじめました。

緑が広がる川敷の写真

二丁
三丁
五丁
そのうち娘は安心して眠ったのでしょうか。だんだんと重くなってきました。手がしびれてきました。けれど治作はじっとこらえました。
道は村の中に入ってきました。家並は堤に沿って細長くつづいています。
村の真中まで来た時、治作はあまりの重さに、がまんできなくなりました。
おもわずよろけました。その拍子に背負った娘をほうり出してしまいました。
治作はびっくりしました。あわてて娘を見ました。
娘は青い顔をして死んだように横たわっています。
治作はいそいで抱き起こそうとしましたが、重くてどうしても起こすことができません。それに手足がしびれて動きません。治作はおもわず、ぶるぶるっと身をふるわせました。

ふと気がつくと、胸の上に鍬(くわ)の柄(え)が倒れていました。「これで、あんな夢を見たんだな」と思いました。けれど、あの娘を背負った時の何ともいえない感触は、目の覚めた今でもありありと残っています。
どこかで声高に話し合っている声が聞こえました。あわてて外へ出てみると、日はすでに昇っていました。向こうの辻堂の前に5~6人の人が集まってさわいでいます。
「誰だい、こんなひどいことをする奴は」誰か大きな声でどなっています。
治作は駆けていきました。
見ると、お地蔵さんが堂の前に倒れています。それも無惨(むざん)に二つに割れて。
治作ははっとしました。
「夕べの娘さんはお地蔵さんだったのか」治作はびっくりしました。そして「昨夕のことは誰にも話すことができないぞ」と思いました。
治作は、こわれたお地蔵さんをそっと抱きかかえると、堂の中に納めました。となりのお婆さんが赤い布を持ってきて、その割れ目が見えないように飾ってくれました。
治作は何度も何度も合掌しました。そして心からおわびをしました。
その時「おーい、治作、何しているんだい。早く仕事に来ないか」遠くで親方の声がしました。治作はその声に今一度お地蔵さんに、ふかぶかと頭を下げると、親方の方へ駆けていきました。駆けながら治作は、「ゆうべのようなやさしい娘が。きっとお嫁さんに来てくれるにちがいない」と思うのでした。
(中司きぬ氏座談より)

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更新日:2021年07月01日